<観劇レポート>ひとりぼっちのみんな「キャンプ荼毘」
観た芝居の感想です。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
団体名 | ひとりぼっちのみんな |
回 | こう来たか!6回目のひとりぼっちのみんな |
題 | キャンプ荼毘 |
脚本 | 伊藤香菜 |
演出 | 伊藤香菜 |
日時場所 | 2019/08/14(水)~2019/08/18(日) スタジオ「HIKARI」(神奈川県) |
劇団紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
演劇は、なぜだか敷居が高い。
ふらっと、映画館に行けば自分のその時に見たいと思った作品が選べるけれど、演劇は、決 まった劇場に、一つの作品を見に行く。
確かに気軽さで言えば映画の方が勝っているかもしれません。
だけども、そんな環境をこっちが頑張って変えなきゃいけないのも事実なのです。
日常と演劇を結び付けられる環境を創る。
デートの帰りに、今日見た芝居の話をしたり、いろんな友達を誘って劇場に足を運んでもらえるように。演劇でできるあらゆることを模索する。
ひとりぼっちのみんなは、桐朋学園芸術短期大学を卒業した伊藤香菜と高橋喜和子が始めた演劇企画です。
二人とも演劇活動をしていく上で「演劇の裾野を広げたい」という同じ目標があります。そのためには、どうしたらいいか?というのを作品創りは勿論ですが、企画、運営方法から考え実践していく企画です。
演劇も私たちも社会に適合できるように頑張ります。ひとりぼっちだけど、みんないます。
事前に分かるストーリーは?
チラシにはこのような記載がありました。
人生に息詰まる25歳、こじらせ女子達。
黒歴史と化した高校時代の演劇部顧問の死をきっかけに再会した彼女たちの
後悔とトラウマを荼毘に付す演劇を最強メンバーで上演いたします!
観劇のきっかけ
観劇の感想を、参考にさせていただいている方の評価が高かったのと、横浜での公演で行きやすかったための観劇です。
ネタバレしない程度の情報
上演時間・チケット価格・満足度
観劇した日時 | 2019年8月14日 19時30分〜 |
価格 | 3000円 全席自由 (事前にネット予約) |
上演時間 | 75分(途中休憩なし) |
個人的な満足度 CoRichに投稿 | ★★★☆☆ (3/5点満点) |
客席の様子
男女比は、5対5くらい。シニアな男子と、若い女性が多い。初見の私としては、この劇団の固定ファン?がいる印象でした。
観劇初心者の方へ
観劇初心者の方でも、安心して観劇できる舞台です。
観た直後のtweet
ひとりぼっちのみんな「キャンプ荼毘」観劇。75分休無。
劇団初見。そこにある苦悩は痛いほど伝わり、作者の実体験的な要素がどの程度か何故か気になる。楽しめたものの、何か表現として成立させるためのピースが足りてない印象。劇団「巨乳の彼女を創る」を強く思い出す。女性視点の感想が気になる。— てっくぱぱ (@from_techpapa) August 14, 2019
感想(ネタバレあり)
ストーリーは。
高校の演劇部の顧問が死んだ。葬式に集まった演劇部の同級生たち。顧問の話よりは、自分たちの「盛った」自慢話に花が咲く。主人公、吉川舞は、演劇を続けるも、未だに処女で、演劇も軌道に乗ってるとは言えず、素敵な男との出会いもなく。実は憧れていた顧問の葬式で、自慢話ばかりの同級生にイライラ。ついに爆発すると、モデルになった同級生が「私は先生と寝てた」と告白。そこから始まる、後悔の念と、自己肯定感の話。結局、舞を除く全員が先生と寝ていて、どこかしら、その体験を、良くも悪くも後の人生に落としながら生きている。つまるところ、自己肯定感は自分で作るしかない。と、ストーリーだけ強引にまとめると、こんなお話。
作品自体は再再演、とのこと。
処女というか、モラトリアムを引きずっている主人公の、内面の物語。「モラトリアム」と表現するにはすこし歳を取っているものの、自信や自己肯定感を持てない状況は、殆どの人にとって共感を呼ぶ題材だと考えるので、テーマとしては悪くない。舞台の流れもテンポが良く、観ていて飽きることはなく、初日ならではの粗さを除いたとしても、とても良くできていたのだとは思うのだけれど。どういう訳か、共感とか、演劇的な感動とは、無縁の場所にいる自分を、上演中、強く意識せずにはいられなかった。
ひょっとすると、作者が主演をしている事で、表現としての突き放した物語の世界より、具体的な生々しさの方が目立って見えたことが原因かもしれない・・・とか、女性視点が強い芝居で男性的な視点では理解が難しいのだろうか・・・とか、いろいろ考えてみたのだが、自分を納得しえる答えを見つけられず、確信が持てない。ただ、確実に言えるのは、42歳の私の視点からすると、表現として「若い」というか、表現として提示する際に観客に届ける際に「パズルの1ピースが足りていない」ような、そんなモドカシイ印象を、強く受けた芝居だった。
途中から、3月に観た劇団「巨乳の彼女を創る」の「チンチンの冒険」という作品を思い出した。この作品、童貞の妄想が、チンチンの先端から恥ずかしげもなく溢れ出たような作品だった。舞台での肉体のキレと、切実な熱量とが織り交じった「モラトリアムへの抵抗」芝居だった。今回の「キャンプ荼毘」にも、同じような表現としての昇華と、解消されないモヤモヤに対する清々しさを、どこかで期待している自分がいる事に、辛うじて気がつく。「巨乳の彼女を創る」が男性視点だったように、女性視点としては共感を得る芝居だったのかもしれない。先生とヤッたとか、ヤらないとか、生理やトイレのシーンとか、普段隠している部分を恥ずかしげもなく表現しているのはとても好感なのだけど。何か、何か、何か、ピースが足りない、そのピースは何?と、そんな事を問い続けた時間だった。