<観劇レポート>MCR「貧乏が顔に出る。」
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
団体名 | MCR |
題 | 貧乏が顔に出る。 |
脚本 | 櫻井智也 |
演出 | 櫻井智也 |
日時場所 | 2019/12/26(木)~2019/12/30(月) OFFOFFシアター(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
MCR OUTLINE
MCRは1994年に脚本・演出の櫻井智也(ドリル)を中心として、
当時同じ演劇の専門学校に通っていた数人により結成されました。
コンスタントに年2~4本の本公演を重ね、本公演22回を数えます。
また、本公演以外でも主宰ドリルによるプロデュースユニット「ドリルチョコレート」公演、
第13回ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバルの最終予選会出場、
各種企画公演への出演等を本公演の間に積極的に行っており、
それらを総合すると年に2~5本、計40余公演を上演しております。MCR STYLE
笑えることを笑えるようにMCRの公演に欠かせない要素、それは「笑い」です。
「笑い」は、もちろん絶妙な間と間隔でお客様に提供され、笑っている事を忘れてしまうほど笑えます。
しかし、「笑い」はただ笑えるだけではありません。
「笑い」を潤滑油とする事により、2時間にわたる物語においてお客様に集中していただき、
よりスムーズに、ストレスなく物語を追って頂くことが可能となります。
笑っている間にMCRの物語に引き込まれ、疲れるはずの時間帯にも、笑いによるスムーズな導入があり、
適度に集中力が高められているために、物語の終幕まで楽しんで頂けるのです。
もちろん高い水準で「笑い」を維持しつつ、ただ「笑わせる」ことだけではなく、
より物語へ観客の皆様を誘うための「潤滑油」としての機能を持ち合わせる、
それがMCRの「笑い」です。物語は些細な日常の中にこそ潜んでいる
笑えることをベースとしつつ、MCRの「物語」はしっかりと構築されています。
ただ、その「物語」は、突飛な事件が発生したり、道徳に訴えかけるような陰惨な事柄があったり、
日常から乖離したファンタジーな世界が繰り広げられるわけではありません。
むしろその逆で、より日常の中で誰もが経験したことのある様々な要素を、舞台上で構成していきます。
お客様は、身近な事から発生する感情をすぐに共有する事ができ、
ある意味「非日常」の象徴でもある舞台の中の「物語」を、より深く理解して行くことが可能なのです。
これは、作家である櫻井智也が、
「同じ席に着く事」
「同じ空間で共有できる言語を持つという事」
「舞台上で起こる出来事全てが共通の感覚で進んでいくという事」
にこだわって「物語」を組み立てていることに由来します。
もちろん、それら日常に溢れる物語をそのまま舞台上で展開しても、お客様の意識は散漫になり、
ただ何も無い毎日を舞台上に載せてしまうことと大差がありません。
日常に溢れる様々な「物語」の要素を、櫻井独特の感覚で角度を変え、
意外な方向からその要素を感じて頂くことにより、
非日常である舞台と「物語」は融合し、お客様を引き込む魅力を生み出すのです。この2つのテーマを中心に、MCRの公演はお客様に提供されます。
年に2~3本の新作を提供し続ける小劇場界では、その公演のレベルを維持する事は大変難しい事です。
増してや、より面白く、よりお客様から満足して頂ける公演を提供し続けていく事はさらに困難かも知れません。
しかし、MCRはその困難な命題に確実に応えています。
お客様がご来場頂くたびに「今まで見た公演の中で一番面白かった」とアンケートに書いて頂いている事実は、
MCRの飽くなき挑戦に対する大いなる力となっています。そこそこ面白い公演ではなく、
今までで一番面白い公演を提供するため。MCRが提供するエンターテイメントをお客様の目でお確かめ下さい。
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
「お前が自分でどうにかできることが世の中に幾つあるんだよ?」
どうしようもない男が三人、一つの部屋で暮らしています。
それぞれがそれぞれ、腐りきった腐れ縁を、時に愛でつつ、時に足蹴にしながら毎日を過ごしています。
ある日、三人のうちのバンドをやりたがっている男(賽銭泥棒)が酔っ払ってお地蔵さんをアパートに持ってきます。
お地蔵さんはその男に対して、罰というか特権というか、そういうものを与えます。
そんな、いつの間にか「意識が朦朧としながらも悪態だけは抜け落ちない」人間になってしまった人たちの、右も左も分かってるけど自分がどこにいるのかは分からなかったりする情景を、愉快な罵詈雑言で綴る、ありそうで、なさそうで、でも、ここにしかないお話です。
観劇のきっかけ
前回公演が非常に印象的で面白かったので、の観劇です。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
観劇日時 | 2019年12月29日 19時00分〜 |
上演時間 | 110分(途中休憩なし) |
価格 | 3000円 全席自由 |
チケット購入方法
劇団ホームページのリンクから、Web上でチケットを予約しました。
当日、前売り料金を受付で払いました。
客層・客席の様子
男女半々くらい。特定の客層は感じられず、様々な年齢層の方がいました。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。
・笑える
・泣ける
・会話劇
観た直後のtweet
MCR「貧乏が顔に出る。」110分休無。
すごく笑ったんだけど。反面、描いてるものはものすごく切ないなぁ。何にもなれない、この場所でふわふわしてるくらいがいい、かぁ。立ち見出てた。超オススメ! pic.twitter.com/RzdJf9tqem— てっくぱぱ (芝居と酒好き) (@from_techpapa) December 29, 2019
映像化の情報
情報はありません。
満足度
(5/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
ストーリーは。
四畳半一部屋に住んでいる三人、トモ、じゅんや、ヒロ。じゅんやの彼女が、部屋から出て自分の部屋に来るように勧めるも、三人の関係は強くて、結局抜け出せない。大家のせがれの澤も、なんだかんだでこの部屋に出入りしていて。ある日、酔った勢いで、トモがお地蔵さんを持って帰ってきてしまう。そのお地蔵さん、自分の「あるもの」を差し出すと、お金を産み出してくれる不思議な力があって。「10歳までの想い出」とか「ギターを弾ける能力」とかを地蔵に捧げつつ、日銭を稼ぐトモ。そんな中、唯一真面目に会社に勤めるヒロが、どうやら会社の金を横領していて。その事を知っている、もっと横領額が多い後輩に脅されていて・・・。窮地に追い込まれていくヒロを、トモとじゅんやは、どうするのか・・・と、かなり強引にまとめるとこんな話。
まず、笑の絶えない舞台。ドッカンドッカン受けていて。「貧乏が」何ていうタイトルとは裏腹に、そして四畳半のアパートの設定とは裏腹に、コメディ的に観ても面白い。間が絶妙というか、グルーブ感が絶妙というか。110分間、笑い続けたなぁ、という感覚を持ちつつも。全体のテーマというか描きたい事は、あまりにも切ないというか深刻というか。かつ、いろいろな捉え方が出来るのだとは思うけれども・・・。
トモ、じゅんや、ヒロは、やはり何処かモラトリアム的なものを引きずっていて。何にもなれず、かなりの歳・・・40歳くらいまで、来てしまった分けたけれど。それでも、その時間を一緒に分かち合ってくれる、空気みたいな感覚の友達は大事で。お互いのプライベートの事はほとんど知らないけれど、そうやって過ごす時間は大事で。トモは、彼女の記憶や、子供時代の記憶、ギターが弾けた記憶は戻らなくても、ヒロとの記憶は、きっとやり直せる、という何処か確信のようなものもあって。だからこそ、ラストの終わり方は、「こいつ面白いな」という新しい関係の始まりを予感させて。何度でも何度でも、こういう空間を選んでやるぞ、という決意にも見えて。そういう、引いた視点での、作者の、今という空間への愛おしさを言いたかったんじゃないか、と感じる。出演者、女浮浪者以外は全員、劇中も本名で出演していて。11年前が初演の、再再演という事なので。きっと、作者自身の等身大の想いみたいなものを表現した作品なんだろうなぁ、と思った。
『どこにたどり着くか分からないし、何かを掴めるか分からない、フワフワした状態で長くいる事。』表現者自身が、自分の名前を使って上演するには、ある種の強い痛みを伴う表現ではあるものの。そんな痛みを、笑の渦に巻き込みながら伝える表現は、とても爽快。それと同時に、覚悟のようなものも感じ。当日パンフレットには、40歳になり、もう再演は今回以降はしない、と作・演出・主演の、櫻井智也が記載しているけれど。きっと、同じ思いで表現が続いている限り、また新たな展開の「貧乏が顔に出る。」があるんじゃないのかなぁ、とも思った。
気になった役者さん。櫻井智也、作・演出もされていて。あー物凄く自然な演技をするなぁ。「めんどくせえ」的な表情をするのが好き。眼差しが、鋭いのに優し過ぎる。身近にいたら、お近づきにはなりたくないかも(笑)。でも、作品は観続けたい。そんな不思議な魅力の方。北島広貴、前作「死んだら流石に愛しく思え」の胡散臭い宗教家のイメージが強かったけれど、途中から、ものすごく不器用に生きている様が刺さり。たなか沙織、どう表現したらいいんだろう。あの場合の「彼女」としてはものすごくリアリティがあり。言いしれぬ魅力と、素朴さの同居っていう感じ?加藤美佐江、物凄いインパクト。ごめんなさい、もう浮浪者そものもにしか見えなかった。ああ、前作で神様の役をやられていた人だというのは、家に帰ってから気が付き。