「まくむすび」1巻をネタに、高校演劇部あるある+思い出をまとめてみた(恥)
もくじ
「まくむすび」を借りた、エモい思い出話です。
昨年…2019年の10月。
漫画「まくむすび」を読みました。
高校の演劇部に入った主人公、むすびが、演劇を創っていく話です。
2020年2月現在、絶賛連載中で、まだまだ完結していません。
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地元の居酒屋で、いつもの通り一人で呑みながら、
Kindle with iPad miniで読んだのですが。
歳甲斐もなく、涙が出てきてしまいまして。(恥)
馴染みの居酒屋だったので、女将さんが、何事?!、と声をかけてくれたほど。
まあ、泣いてる私自身が、一番驚いているんですけれどね。(笑)
誤解を恐れずに言うなら、
「まくむすび」は、感動して泣くタイプの漫画では、ありません。
私がこの漫画を読んで思ったのは、
「これ、自分の青春時代だ」
という、かなりエモい感覚でした。
その場で、2巻まで読み切ってしまい。
その後、3巻が発売されたので、そちらも読みました。
私も、高校3年間、演劇部で過ごしました。その時の記憶が、蘇ってきました。
この漫画、単に「高校時代が懐かしい」という事ではなくて、
あの時、悩んでいたり、大事にしていたり、辛かったり、嬉しかったりしたものが、
そのまま、たくさん詰まっているように感じました。
少し前に、「ボンボン坂高校演劇部」っていう漫画がありましたが、
あれは全然「演劇部」じゃないので、逆に、本を八つ裂きにして捨ててやろうかと思いましたが。(笑)
奥付を読む限り、青年団を取材したり、各高校演劇部を取材したり、参考文献もあり、で、
いろいろとリアルな感覚に近いものを、すくい取っている漫画だなぁ、と思います。
(その後知った「幕が上がる」もあり、恐るべし青年団。)
読者ターゲットは、現役の高校生とかがメインな気もしますが、
元・高校演劇部の大人も、読んだらいろんな事を感じるんじゃないかなぁ、と思います。
逆に、今あなたが20代前半だったら、
経験したことに近すぎて、読むのがツライ作品である可能性もあります。
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思わず涙してしまったので、どんな点が、刺さったのかなぁ、なんて言う事を、
自分の想いのメモも込めて、「高校演劇部あるある」で、まとめてみたいと思います。
多分、高校演劇、というモノに対して「引いてる」のか「寄っている」の両立の視点は、
オジサンにしか書けない気もしたので。
エモくて、勢いで書いているので、なんとなく巻ごとにシリーズ化しそうな予感。汗
「まくむすび」1巻の「演劇部あるある」
お菓子で釣る演劇部
「まくむすび」一巻より引用
うちの部にもありました(笑)。
まぁ、演劇部に限らずいろんな部で、やっている事かもしれませんが。。。
演劇をやりたいっていう人、演劇部入ってみようかなぁ、っていう人って、それなりの人数がいると思うのです。役者になりたい、スターになりたい、STAFFってなんかカッコイイ。などなど。
芸能界・・・とは違いますが、それなりに憧れの存在の、はず、ですよね。
何故か「演劇部」ってなると、どういう訳か突然、敷居が高い、ように、見える。
「お菓子食べれる」っていう言い訳があると、ちょっと入りやすい雰囲気もある。
「まくむすび」1巻の前半な、まさにそんな「二の足踏んで門をくぐる感」満載なんですよね。
まだ、他人の見た目が、気になる年代だからなのかなぁ、なんて、オジサンになると思い返しますが。
かくゆう私も、ガタイがいいので誘われた「ラグビー部」「柔道部」「野球部」を見学した後、
やっぱ自分に嘘つくの嫌だな、と思って演劇部の門を叩きました。結構、葛藤がありました。
ま、私はお菓子につられて、行ったわけじゃないけれど。
そのキッカケを作るためにも、「最終兵器お菓子」。
上級生になった時には、近くのスーパーでお菓子買ってきて、置いておきましたわ。
どうやったら大会で上位に行けるか、基準が不明
「まくむすび」一巻より引用
分からない・・・未だに分からない。
きっと、誰もが通る、代々受け継がれている悩みです。
一体どのような芝居が、演劇が、大会で次に進めるのか。
私が高校生だった頃も。そして、最近の大会を観ていても。
状況は変わっていません。
芸術だし、心に響くかどうかの問題だから、実は、基準なんて全く無い。それは、高校生ながらにもよく理解しているのですが。なかなか、気持ちと、行動と、能力と、のバランスを取れる時期ではなかったのか、変な事考えてました。コネなんじゃないか、とかね。
・・・よくよく考えると、この「基準がない」っていうの、他の部活と比べて、特異な部類に入るのかもしれません。吹奏楽とか、全国大会に行くための基準とか、どういうのがあるんだろう。ふとそんな事を思ったりします。基準がないという事は、自由である、という事でもあります。だから楽しい、という事なのかもしれません。何でもあり、な訳です。何か面白いことを考えられれば、人を感動することを考えられれば、それでいい。そういう自由さの中に放り込まれる、という事でもありました。
60分以内。それが、ほぼ唯一のルール。
「まくむすび」一巻より引用
高校演劇の大会の場合。主な「ルール」と言えば、「作品の著作権関連」と、この「60分以内」のルールだけかな、と思います。ほぼ唯一のルール、と言っていいかもしれない。表現する内容について、何か規定がある訳でもありませんし。「何やってもいいけれど、60分以内に終わらせること」って、言われていたような気がします。
どの学校も上演時間はストップウォッチで測っていて、舞台袖にいる時は常にエアモニ(舞台の音声をマイクで拾ったものを聞くの)と、ストップウオッチに釘付けだった気がします。実際、延びちゃって失格になった学校がいたような記憶があるけれど・・・自分はなった事ないので、あまり覚えていないなぁ。「幕が上がる」の映画版では、舞台袖でストップウォッチを持っているシーンがあったと思うのですが。舞台袖に置いてあった、ストップウォッチの液晶の文字…、ハドソンが出していた、黄色いストップウォッチの液晶盤…を、私も、今でもたまにフラッシュバックして思い出します。
「なにもない空間」はファッション的な
「まくむすび」一巻より引用
「ひとりの人間がなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる。演劇行為が成立つためには、これだけで足りるはずだ。」で始まる、演劇の名著「なにもない空間」からの引用。
ジャス子は、「なにもない空間」読んだことあるのかな(笑)。
「なにもない空間」っていう言葉が、妙にファッションとして独り歩きしていたような気がしますね(笑)。ジャス子の、このコマも、そんな雰囲気を感じます。今でもそうなんですかね。・・・「なにもない空間」読んだことないのに、知ったように語る感覚。「好きな演劇書は?」と聞かれたら、とりあえず「なにもない空間」と答えとけ、みたいなヤツです。(そんな事聞かれるシチュエーションあるんだろうか。)
ただ、そんなファッションになってしまうくらい、この本から飛び出た、演劇の中で有名な言葉は多いです。「Play is Play」「演劇とは、風に記された文字である」も、そうだったかと思います。
私は、脚本探しをしている高1の時に、本棚でこの本と出合い「うわさのヤツか」と、即買いました。確か神田の「矢口書店」に行った帰りに寄った「神保町ブックセンター」かな。Amazonがない時代。今ほど、欲しい本が簡単に手に入った時代じゃないから、「お、本物だ」と思い、感動でした。読んだけれど、高校生には、本当に難しい。<退廃演劇>とか<野生演劇>とか、とにかく難しくて。読めば読むほど、ファッションになっていく本でした(笑)。
ちなみに、大学時代に、当時好きだった子に、貸してあげたきり返ってこないです(泣)。恋も実りませんでした。また買おうかな。
演劇は、誰かにやらされるもんじゃない。
「まくむすび」一巻より引用
何だか物凄く重い言葉だけれど、肌感覚としては、よく理解できます。もちろん、運動部、文化部・・・どんな部活でも、「やらされる」ものじゃないんですけれども。演劇の場合、それがとても顕著なんですよね。
演劇を創るっていう行為。楽しいけれど、見かけよりも「身を削る」行為だっていう事も、あるのかもしれません。「身を削る」が故、「みんな、どこかの部活に所属しましょう」なんていう義務っぽいニュアンスを含む動機では、決して収まらない、務まらない「部活」なのかなぁ、と。だからこそ、「誰かにやらされるものじゃない」なので。
そういう特質もあるのか。実は、途中でやめる人が結構多いのも、演劇部かもしれません。逆に、途中から入ってくる人も、それなりにいる部活かもしれません。
私の学年は、4人(女子2人、男子は私1人+途中から入部した男1人)。途中、本番前に疲労のあまり入院した女子が1名(代役を立てた)、上級生と大げんかした男子1名・・・と、いろいろゴタゴタはあったけれど、幸いにも卒業までそのままのメンバーで過ごせました。1つ上の学年と、2つ下の学年は、結構な数、部員の入れ替わりがありました。その中での悲喜こもごもも、あったりします。
「まくむすび」1巻だと、「昨年の大会の事」はまだ語られていないですが、きっと、そんな事なのかな~、は容易に想像がつきます。高校演劇部とはいえ、何かを創るって、そういう「身を削る」行為でしたね。
クラスでは「変なやつ」扱い
「まくむすび」一巻より引用
思わず、笑ってしまった一コマ。
まぁ、発声練習とか、早口(滑舌)しているのって、結構目立ちますからね。傍から見ている人からの印象は、基本「変な奴」っていうのが相場。「あいつ、いつも体育館のステージで、『あー』とか『うー』とか、早口言葉、言っているし」みたいな。クラスの友達からも、同じ見られ方ですネ。
私が高校生だったのは、1990年代前半。その頃30~40代の先生達は、「アングラ演劇」とか「学生運動」の余韻を、大学のキャンパスで目撃した人が多かったようです。その影響なのか「演劇やってる奴なんて、基本変な奴だよ~」と、数学の担当教師に、面と向かって言われたことがありましたね。なんか、唐十郎の芝居で、白粉で叫んでいるシーンを勝手に想像しつつ(観た事ないのに)そのたびに、こいつらいつかブッ潰してやると心の中で思っていました(笑)。
逆に、積極的に「好きだ」とは言ってくれないけれど、見守ってくれる先生もいて。…で仲良くなって話を聞いてみると、「つかこうへい」について語り出して止まらなかったり(笑:俺よく知らないし)。合唱部が強い学校で、音楽教師は合唱の全国大会の常連だったのですが、演劇部の活動をかなり気にかけてくれました。ま、この先生は、学校全体から「変な先生」って言われてました(笑)。本人は、「変な人」を全く気にしていませんでしたが。私を、合唱の、バスだかテノールだかで、引き抜きたかったみたいだけれど。演劇部も意外に忙しいので、無理でした。
ま、要は。いろんな「変な人」を吸引するのが、演劇部。
今になって思うと、「変な奴」って、誉め言葉ですけれどね。
基礎レンは、運動部よりツライ
「まくむすび」一巻より引用
まあ、これも演劇部あるある、ですが。演劇部、基礎練(あるいは基礎錬)、実は結構、厳しかったですね~。
私は、あまり運動神経よくなかったので、とても足を引っ張っていたように思います。よく考えてみると、舞台の上を走り回るし、かつ、走りながら声出しもする必要ありますし、それなりに体力必要なんですよね。学校にもよるとは思いますが、伝統的なメニューとかあったりして・・・。これが意味もなく辛かったりして、メチャクチャ嫌でした。
私の部には、伝統の「コーラスライン」という、全く持って意味不明な基礎練メニューがありました(笑)。映画「コーラスライン」の曲「ジャズ・コンビネーション」…オープニングで使われている曲…の冒頭16小節にあわせて、大股で走って、片足立ちして大声出す。これを10分くらいリピートするだけなんですけれどね。当然、スタート時の掛け声は「five,six,seven,eight!」ですわな。四季のミュージカル観に行った時も、あの曲と、かけ声聞くと、未だに背筋が寒くなります。(笑)
A chorus line - I hope I get it - YouTube
演劇部の基礎練ツライ、ってのを想像すると、もう一つ、必ず思い出すことがありまして。
1980年代に放送していた、海外ドラマ「フェーム」(Fame)。ニューヨークにある芸術高校が舞台のドラマでした。教育委員会が学校に視察に来て、「芸術高校とはいえ、学校内に体育館がないのはケシカラン」という話になるのですが、基礎ダンス、のクラスに、別の学校のバスケ部を試しに入れてみると、授業の最後まで持たずに、全員ヘバッテて倒れてしまう話がありまして…。ちょうど高校生の頃、深夜にドラマの再放送をやっていて、あーこれ分かる、と思い見てました。(奇跡的にネットの海に写真が浮いてた)
Tomorrow's Farewell - Season 1 Episode 3 - video Dailymotion
創作と既成、どっちも大変
「まくむすび」一巻より引用
高校演劇だけではないですが、どんな芝居も「脚本がつまらない」と、それ以降どんなに、芝居作りを良くしようとあがいても、挽回不能、という現実があります。で「既成」と「創作」は、その最初の分かれ道。
「既成」は、クオリティは確保出来るけれど、出演者の人数、自分たちがやりたい事、表現したい事、がマッチしないという悩みがあり。創作は、出演者の人数、表現したい事は余すところなく織り込めるけれど、そもそも脚本書ける人が少ないし、書くのが大変だし、クオリティが確保できない。っていう、概ねの特性があります。
私の場合は、高1で大会に出た時は、既成の本を選びました。本探しはもう大変で。当時はインターネットなんてありませんでしたから、地道に脚で歩いて脚本探すしかありません。神保町にある「矢口書店」や、その近くにある岩波書店の本屋さん(「神保町ブックセンター?」だったかな)に1日入り浸って、本を探してました。役者の人数と性別とかが、部の構成と概ね合致していて、かつ、面白い本。見つけたとしても、お金も限りがあるので、全部買って帰れないし。携帯電話もない時代、相談もできないし・・・大仕事でした。結局、高1の時の大会出場作品は、私が見つけてきたものが採用されましたが、創り切ってから分かりましたが、結構難しい本でしたね。
高2の時は、OBの力を借りた、部員の創作でした(私は書いてないし、書いた事もないデス)。
誰かが書いてきても、あまり面白い脚本じゃない、…要はクオリティが確保できないと、部内の意見が割れたりすることもありますし、そこから人間関係がヒビ割れたりもします。それこそ「演劇は、誰かにやらされるもんじゃない。」ので、部がまとまらなくなる危険もあったりするわけです。この事を思い起こすと、胃の中がキュルルとして、未だに酸っぱくなります。青春の思い出。
マンガの中の「むすび」は、自然と部の脚本創作担当になっているけれど、あれはホント、ストンとハマる凄い例だと思ったりします。ただ、今後どうなるのかな。さすがに脚本家のポジション争い、のドロドロは、無さそうだし、見たくないけれど。
役がのりうつる。憑依。
「まくむすび」一巻より引用
このマンガのシーン、大好きです。
あるんですよ、役に同化するくらいまでに、自分と役の距離を縮められた時、いろんな言葉が出てきてしまうのって。目撃すると、神がかったものさえ感じる、憑依の瞬間です。
高1で大会に出た時、ヒロインを演じた同級生が、最後の最後まで役作りに困っていました。なかなか自分に、役を引きつけられずにいたようで・・・。そんな彼女の憑依の瞬間のキッカケは、衣装、でしたね。劇中、一度だけ、超ド派手なミニスカドレスを着て出てくる役なのですが。本番に近い時期、練習のためにその衣装を着て舞台に出た瞬間(練習なので、場所は体育館だけれど)、突然、変わりました。あれ、何を悩んでいたの?というくらいに。役を自分のモノにしちゃうのを、目撃しました。目が点、になりました。そんなにそのドレス気に入ったのか?と思いましたが、素に戻った時はそうでもないように思えました。…まあその子、すごく美人さんだったのに、部内ではいたって地味で、部室でも、いつも1人で戯曲とか哲学書とか社会学の本とか、読んでいるような子でした。見られることで、何か、掴んだんでしょうかね。ドレス1着で変わるんだなぁ、というのを、まざまざと見たりしました。
あと、このシーン見た時もう一つ思い出したのは、劇団四季でウィキッドの初演をした時の、グリンダを演じた沼尾みゆきさんのドキュメンタリーの事。エルファバとグリンダが、最後の別れをするシーン。「For Good」っていう、二人で美しいハーモニーを出す曲ですが、リハーサルの途中で感極まって歌えなくなってしまうシーン。みていると、あー、一つに溶け合っちゃったんだなぁ、というのが分かります。創り手としては、この歌は、観ている側を「泣かせる」立場なので、決して泣いてはいけないのでしょうけれども(アサリ先生に「一音落す者は、去れ」とか怒られそう(笑))。でも、こういう瞬間に立ち会うのも、演劇を創ることの楽しみだった気がします。
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まとめ
エモいというか、思い出話にお付き合いいただきましてありがとうございます。
気が向いたら、2巻、3巻も続けて書いてみたいと思います。