<観劇レポート>劇団俳小「聖なる日」
【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 劇団俳小「聖なる日」の観劇レポートです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | 劇団俳小 |
回 | 劇団俳小第46回本公演 |
題 | 聖なる日 |
脚本 | アンドリュー・ボヴェル |
翻訳 | 佐和田敬司 |
演出 | 眞鍋卓嗣 |
日時場所 | 2021/03/19(金)~2021/03/28(日) d-倉庫(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
昭和46(1971)年、早野寿郎(故人)・小沢昭一等が中心となって活動していた劇団俳優小劇場が解散を余儀なくされた為、演出家・早野寿郎を主宰者として、昭和49年1月現在の劇団俳小が創立された。
ヨーロッパ・アメリカ演劇から、日本の古典、新作、あるいは、詩や小説をそのまま舞台にのせたりと、一定の演劇理念にとらわれず、幅広い演劇活動を続けながら、舞台芸術の原点を探る演劇創造集団として再出発した。
数々の賞を受賞し、また、文化庁主催公演に数多く取り上げられるなど、意欲的な活動を続ける中、近年では、平成2年に藤田傳 作、演出による『檻の中の国境』がNHKニュースにもなり話題となったり、平成7年にジェームス三木 作、演出による『上杉鷹山』を山形県米沢市の協力で上演して注目を浴びたり、平成17年に水上勉 原作、入谷俊一 演出による『金閣炎上』で第17回池袋演劇祭大賞を受賞したりしている。
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
19世紀半ば、入植時代のオーストラリア。奥地の砂漠地帯で中年女のノーラ・ライアンが売春宿を兼ねた貧しい木賃宿を営んでいる。彼女はアボリジニ(オーストラリア先住民)との混血の少女、オビーディエンスを従順な使用人として使っている。ある晩、白人流浪者達が一夜の宿を求めて現れる。その内の荒くれ者、ガウンドリーはオビーディエンスを一晩の慰み者にしようとする。が、ノーラは自分の肉体を投げうって、オビーディエンスの操を守り抜く。彼らの滞在中に白人の宣教師と赤ん坊が行方不明になり、教会も焼け落ちるという事件が起こり、宿の近くの白人の住民やガウンドリー等が捜索に向う。そして、一連の事件はアボリジニが起こした事とされ、アボリジニの集団への虐殺が始まる……。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2021年3月26日 14時00分〜 |
上演時間 | 150分(休憩10分含む) |
価格 | 4500円 全席自由 |
チケット購入方法
Confettiのページから予約しました。
セブンイレブンで予約番号を伝えて、クレジットカード決済で支払い、発券してもらいました。
客層・客席の様子
男女比は5:5くらい。
ミドル層upの様々な年齢層の方がいました。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。
・シリアス
・考えさせる
観た直後のtweet
劇団俳小「聖なる日」150分含休10
凄かった。演技、舞台の鮮烈さ、クラクラするくらい凄い。なのに、観ながら特に感情が湧いてこないのがむしろ不思議。何を伝えたかったんだろう。未開の地の大変さとか、偏見とか、親子愛、みたいな単純ではない気がしてモヤモヤしてる。私の知識不足?超オススメ! pic.twitter.com/oY3JWboGh6— てっくぱぱ (@from_techpapa) March 26, 2021
満足度
(4/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
凄い迫力舞台だった。役者さんの演技と、空間の作り方が凄い。濃密な人間の愛憎劇。圧倒された。・・・第一印象が、とにかく舞台の作り、に関するものだった。
月船さらら演じるノーラの、陰のあるたくましい生き様。小池のぞみ演じるオービディエンスの、劇中でも成長し、自らのルーツを求めていく姿。いわいのふ健演じる、ガウンドリーの影を抱えた生き様。西本さおり演じる、リンダの世界を、白人を恨む目。全てが印象的で。濃厚で、濃厚な、150分だった。観終わった後グッタリ疲れた。
ただ、観ている最中も、観終わった後も、特に何かの感情が湧いてこなかった。なんでだろう、という不思議な感覚。未開の地で、人種も混ざりあう中で生きる人々の生活は過酷で。貧困や親に見放された経験。黒人と白人の対立は続いていて。そこで子供がさらわれた、となれば、一大事なのだけれど。実感として感じる、というのが余ない。自分の生活と、あまりにかけ離れているからだろうか。「舌を切られて喋れない」2人。言葉を奪われた、という事なんだろうけれど。比喩なのか、実際に切られたのか、そんな迷いまで生じてしまう。
全体的にどこか、一連の「物語」を、傍観者として観ている自分がいて、そこから脱せられなかった。むしろ、役者さんの熱演、舞台の空間としての迫力の方に飲まれてしまった。…舞台になっているのは、アメリカ?イギリス?…っていう基本的なところから分からなかった(結果的には、どちらでもない)。私の知識がないのだろうか、ストーリーくらい、読んでから観れば良かった。
ここまで書いて、パンフなどを読んでみると。
アンドリュー・ボヴェルはオーストラリアの作家。あ、なるほどオーストラリア、アボリジニーの迫害の時期を表現しているのだ、という事。ただ、観終えてみると、差別や迫害の歴史というより、そこに生きている様子とか、貧困とか身分とか、そういった思いの方が強い作品、という理解に変化はなかった。舞台が鮮烈なだけに、そちらに意識が向けられなかった自分が残念。