<観劇レポート>くによし組「バクで、あらんことを」
【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 くによし組「バクで、あらんことを」の観劇レポートです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | くによし組 |
題 | バクで、あらんことを |
チーム | Aチーム |
脚本 | 國吉咲貴 |
演出 | 國吉咲貴 |
日時場所 | 2021/06/30(水)~2021/07/04(日) 花まる学習会王子小劇場(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
人見知りでコミュニケーション下手な國吉咲貴が、優しい人を集めて作る表現チームです。
『異常で、日常で、シュール』
をコンセプトに、國吉節と呼ばれる特徴的な台詞や、誰もが通る悩みや壁をオカシク描いた作品は「独特だね」とか「ぶっとんでるね」など様々な声をいただいています。
過去の観劇
- 2023年05月19日 くによし組「なんもできない」
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
容姿も中身も自己評価30点のモリコが暮らす田舎町に、大ニュースが舞い込んだ。
有名な映画監督ソソノマソソルが、町に住む女性限定の主役オーディションをするというのだ。役柄は「バク」
軽い気持ちでオーディションに応募したモリコはなんと最終審査進出。
するとすかさずモリコに、生まれて初めて欲が出た。「このチャンスを、逃したくない!」
きたる最終審査。会場に現れたモリコに、場内は騒然。
モリコは顔を「バク」に整形してきたのだ。
同じく最終審査に残ったメデューサの子孫のメデュ子や、貞操観念アッパラパーなイーナ、豊胸貯金を貯め続けるムムは、モリコの行動に心を揺さぶられ、やがて価値観が崩れ出す。バクになりたい。
バクであって欲しい。
バクだったらよかったのに。
これは、夢を叶えようともがく人々と、夢から覚めた人々を描くお話。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2021年7月2日 14時00分〜 |
上演時間 | 80分(途中休憩なし) |
価格 | 3500円 全席自由 |
客層・客席の様子
男女比は5:5くらい。
20代から40代の客層が多かった気がします。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。
・考えさせる
観た直後のtweet
くによし組「バクで、あらんことを」80分休無
劇団初見。表現としては洗練されてるけど。正直、こんな演劇観たくないというか。いじめられっ子がピエロの様におどけているのを、怖くて横から見てるしかない、的な嫌な感覚。痛みと嫌悪感。でもそれが人生ってことですかね。辛いので消極的にオススメ。 pic.twitter.com/4qCEAmpvYp— てっくぱぱ (@from_techpapa) July 2, 2021
満足度
(4/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
劇団初見。噂には聞いていたけれど、なかなかスケジュールが合わず。やっとの観劇。
自分自身のアイデンティティを背伸びして確立しようとした人が、精一杯の背伸びで邁進したものの、歳を重ねてアイデンティティにズレと疑問を感じて、それは本当に自分のアイデンティティだったのか、という事を問い直す話。芸能界、少し前には割とバライティなんかによく出ていた、不美人をウリにした女性芸人になぞらえて描く。容姿をバカにすることはご法度になりつつある時代。時代が変わったからなのか、あるいは時代とは関係ないのか。アイデンティティを喪失しかかっている女性が、自ら描いた夢と、破れた夢に、どう決着をつけるのか・・・、いや結局抱えて生きるしかない、という事を描いた作品。
前半、舞台の全体像をつかむまでは、ちょっと記憶が何度か飛んでいる。右乳とか、擬人化されたモノモノの説明が、ちょっとまどろっこしい。後半、1/3くらいになって、やっと表れてくるテーマ。
感想を書くのが辛い。ものすごく嫌な感情を、有り有とと舞台で再現されてしまったので、あまり好意的な感想が書けそうにない。でも、きっと目を背けちゃいけない事なんだろうな、という気もする。嫌悪感を誘うもの、嫌なものを、グロテスクな表現に頼らず、ストレートな物語としてに舞台で再現する力は、すごい。でもやっぱり心地いいものじゃない。すごい、と、嫌悪感、の合間で、終始戸惑ってしまった。
まるで、いじめられている子が、なんとか自分を誤魔化すために、ピエロのように道化になって理不尽な要求に乾いた笑いで答えている、その様を横で見ているような感覚だった。時に人生は、人間に、アイデンティティの確立という酷な要求を無意識にしてくるのかもしれない。それに応えようとすると、まるで、追い詰められたいじめられっ子の乾いた笑顔のようにように、理不尽な何かに、追い立てられるものなのかもしれない。でも時代も変わる、人も変わる、歳をとる。その中で、アイデンティティを保ち続けるのは、難しい。たとえ取り残されても、主線から外れてしまっても、それでも、抱えて生きていくしかない。
そんな残酷な現実を、残酷なままに、少しコミカルな要素を加えつつ描いているように感じた。直視したくないものを見せられたので、ストレスも高く、観劇後の後味も良くなかったけれど。