<観劇レポート>劇団普通「病室」
【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 劇団普通「病室」の観劇レポートです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | 劇団普通 |
回 | MITAKA“Next”Selection 22nd 劇団普通 |
題 | 病室 |
脚本 | 石黒麻衣 |
演出 | 石黒麻衣 |
日時場所 | 2021/07/30(金)~2021/08/08(日) 三鷹市芸術文化センター星のホール(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
石黒麻衣(脚本/演出/俳優)主宰の団体。
家族、きょうだい、友人のような間柄の人々の日常の生活を題材とし、独自の会話における間と身体性によって醸し出される緊張感を特徴とする。また「言葉」のみならず「身体言語」に着目し、リアリティを極限まで追求した「会話劇」とは一線を画す「態度劇」とでも言うべき演劇の表現におけるあらたな試みをしている。近年は、出身地の茨城弁による全編方言芝居を上演し、作品の幅を広げている。2020年9月には、劇団初となる地方公演として豊岡演劇祭2020フリンジに参加し『電話』を上演。
過去の観劇
- 2022年04月23日 劇団普通 「秘密」
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
入院患者たちとその家族、病院関係者が集う、地方の入院病棟の一室。
そこには、不安も希望も現実も過去もあった。
病室での日々の生活や人間関係、そして人生を、作者の実体験を交えて全編茨城弁で紡いだ家族の肖像。待望の再演。その部屋には、喋れるものが集まっている。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2021年8月3日 19時00分〜 |
上演時間 | 130分(途中休憩なし) |
価格 | 2800円 全席自由 |
チケット購入方法
三鷹市スポーツと文化財団のページで、当日清算で予約しました。
当日現金でお金を支払い、整理番号付きチケットをもらいました。
客層・客席の様子
男女比は5:5くらい。
様々な年齢層のお客さんがいました。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。
・会話劇
・静か
・方言
・考えさせる
・シンプル
観た直後のtweet
劇団普通「病室」130分休無
これはすげぇな。どう受け止めたらいいのか。ちとこちらがキャパオーバーで困ってる。静かな会話劇。いろんなものが透けて見えて。その透け具合が怖くもあった。客席の、水を打ったような静けさがすごくて怖い。お腹が鳴って恥ずかしい。それくらい全体が没入。超オススメ! pic.twitter.com/F5zq6rzxwz— てっくぱぱ (@from_techpapa) August 3, 2021
満足度
(5/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
事前のストーリーの通り、病院の相部屋の一室を描く作品。そこに入院しているのは、中年~壮年の男たち。脳卒中やその他の病気で、言葉を上手く操れなかったり、リハビリしていたりする。そこに見舞いに来る家族や看護婦・理学療法士の会話を通して、人々の背後の事情や人間模様をにじませる作品。
劇団初見。観終わった翌朝になっても、静かな感動がズズズンと押し寄せている感覚。興奮…とは少し違うのだけれど、凄いもの見たなぁ、でも上手く言葉に出来ないなぁ…に近いかもしれない。加えて、他の言葉にし難い作品と違って、この「上手く言葉に出来ないもの」は、この後一生、言葉に出来ないような気もする。そんな一夜の感覚。何とか言葉を絞り出してみると。
演劇としては、「静かな演劇」に近いかもしれない。日常の会話で、時にささやくような日常の会話で紡がれる物語。しかも、茨城弁。茨城の人の特徴なのか、同じ話が何度も何度も繰り返される。人は同じ話を何度も繰り返してしてしまうものだけれど、それにしても最初は、ちょっと退屈に感じる部分があった。ただ、徐々に馴染んでくると、その繰り返しがむしろ、人間関係の雰囲気を醸し出してくるのがおもしろい。加えて、入院中の動作…リハビリや介護状態にある人の動きも、緻密に再現されている。片岡が足をベッドに上げる時、必ずフチにつっかかるのだけれど、リハビリを経ると、それがスムーズにできるようになっていたりする。
ただ、単に「静かな演劇」、緻密な描写の演劇かというと、そうでもない。どちらかというと、演劇ならではの「曖昧さ」あるいは「現実として描いているのに、実は圧倒的に非現実」みたいなものが、意図的に、多分に、含まれていたように感じる。
以下は、脚本他に当たったわけではないので、私の勝手な解釈で、間違っているかもしれないけれども・・・。
あの病室でなされている「会話」が、実は現実を切り取ったものなのか、最後までうまく判断出来ないでいた。右手前に入院している、子供がいなくて、身寄りが誰も見舞に来ない佐竹。看護師と理学療法士の恋人同士の会話を聞いても、彼は言葉を話せないようにも思える。病室にいて、看護師が部屋からいなくなると、突如栓を抜いたかのように話し続ける、佐竹。あれは、本当に話せている事なのかなぁ・・・というのが終始、疑問で仕方ない。
佐竹の体を起こしたり、寝かせたりする看護師が、ラストに近いところで「想像の中の妻」として出てくる。でも妻は、一向に見舞いに来た様子はない。実はこの物語自体が、佐竹が想像した、病室での「家族に対する憧れ」の幻想のようにも思えてしまう。他の三人の家族構成が全て同じだし(娘と息子)、病室というしっかりとした設定があるのに抽象的な舞台美術になっているのが、途中からとても気になり出す。
リアルな会話を捉えているにもかかわらず、仮に無理矢理に映像作品化する事を考えた時に、こんな妙な「違和感」をクリアーにして、映像として表現することが、そもそも難しい作品のように思う(もちろん、そもそも映像化なんてしないだろうけれど)。佐竹の存在に関する疑問は、結局よく分からなかったけれど、この曖昧さ、演劇ならではの「余白への想像力」が、この物語に横たわる謎めいた魅力なのかなぁ・・・というのを感じた。
私自身の父親との関係と似ているからか、片岡と、片岡の息子(と、理学療法士)の会話が、どうにも切なくて困ってしまう。理学療法士が、同じ役者が演じるのが憎いなぁ。