<初日レポ>演劇ユニットG.com 「ロボットとわたし」
【ネタバレ分離】
どもっ\(´▽`*)。てっくぱぱです。昨日観た芝居の感想です。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
演劇ユニットG.com
「ロボットとわたし」
2019/03/27 (水) ~ 2019/03/31 (日) ウエストエンドスタジオ
脚本 三浦剛
(inspired by=カレル・チャペック『R.U.R.』アイザック・アシモフ『I, Robot』)
演出 三浦剛
観劇した日時 | 2019年3月27日 19時00分〜 |
上演時間 | 145分(途中休憩なし) |
個人的な満足度CoRichに投稿 | ★★★★★(5/5点満点) |
客席の様子
男女半々。様々な世代の方がいました。役者さんの年齢層がバラけているのと、終演後客席面会が多かったので、初日という事もあり役者さんの知り合いが多かったのかもしれません。
観劇初心者の方へ
観劇初心者の方でも、楽しむことができますが、上演時間が長く、劇場の構造上トイレに行きづらいので、ご用心を。
演劇ユニットG.com?
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
こちらは演劇ユニットG.comです。G.comと書いて「じーこむ」と読みます。
G.comは東京都内近郊に乱立する中小劇場を起点に、演劇行為を中心とした「表現活動」を展開しているユニットです。 劇団としての団体的な特性を持たず、作品ごと様々なジャンルの表現者たちとの出会いと別れと再会をくりかえし、G.comクオリティーを探し続ける仮想的現実的表現ユニットです。
代表の三浦剛を中心に劇作家、俳優、カメラマン、漫画家、画家、音楽家......ジャンルを問わない表現者たちがおりなす、不思議で楽しい舞台演劇作品を展開していきます。 どうぞ今後ともよろしくお願いします。
との事です。
事前に分かるストーリーは?
劇団ホームページには、こんな記載がありました。
1920年、チェコの劇作家カレル・チャペックは戯曲『R.U.R.』で、世界で初めて「ロボット」という言葉を生み出した。
その30年後、アメリカの小説家アイザック・アジモフは「ロボット三原則」を小説の中で編み出した。
世界的ロボット戯曲と、世界的ロボット小説との怪しげな邂逅。
G.comワールド全開で挑む、妄想型ロボット大河ドラマ。
現代を生きるすべての人のための、「人間」と「ロボット」、「生命」と「愛」のお伽噺。
という事です。
私、ロボットと人間っていうテーマ大好きです。あちこちの公演でチラシを観て、気になっての観劇です。
感想(ネタバレあり)
ストーリーは。チャペックのR.U.Rに基づく世界と、アシモフの「I,Robot」の世界に基づく物語が交錯する。舞台前方、通常のステージ部分は、R.U.R。後方のかなり高くなった部分は、アシモフの世界。同時に物語が展開することはなく、R.U.Rの幕間に当たる部分でアシモフの世界が展開する流れ。感想を書き始めて、はた、と止まってしまった。これまで、SFに親しんで来たと思っていたが、この物語を読み解くのに、自分の中の知識が圧倒的に足りていないと感じたから。
恥ずかしながら「R.U.R.」は、読んだことも、観たこともなかった。帰路ストーリーを調べてみると、Wikipediaに詳しい記載がある。ここを読む限りは、この芝居の「R.U.R」のストーリーに関しては、チャペックのままと言ってもよいと思う。
R.U.R. - Wikipedia
アシモフの「I,Robot」のロボット三原則の世界は、更に推し進めて、ロボット第零法則を取り上げている。これは、「ロボット工学三原則」のページに説明がある。第一原則の「人間」をどう捉えるかによって、場合によっては個々の人間を破壊する事が「人間」の安全を守る場合、第一原則は本来の意味の機能を果たせない。その論理的な矛盾(方便)を防ぐために、第一法則の「人間」を「人類」と置き換えたものが、第零原理。
ロボット工学三原則 - Wikipedia
今回の物語は、R.U.Rのラストに登場するアダムとイブをロボット三原則の第零原則をロボット自身に発見させる、というストーリーに帰結する。二つのお話を、アダムとイブ=ハリーとヘレナに重ね合わせて、円環の時間を描いているようにも感じる。ただ、結論に「愛」を持ってくるのは、正直好きになれない。R.U.R.を下敷きにしている以上、R.U.R.の結論がアダムトイブなのだから、仕方がないと言えるかもしれないけれど。「愛」がすべてを解決するなんて、ちょっと安直だよ、と、R.U.Rに対しても思ってしまう。
一方、この物語を全編通してみたときに、2019年の今という時間を、ものすごく意識して観ている自分がいるのを感じた。
一つは、AI技術やロボット技術の発達が著しい、という事へのリアリティ。肉体的な労働だけでなく、頭脳的な労働をも、機械が肩代わりしてくれる世の中になりつつある、という事。時代の雰囲気として、街にAIという言葉が躍る日々だし、確かにその通りだと思う。ただ、1920年にチャペックが心配した事態は2019年にも起こっていないのと同様、AI技術によって置き換わる人間の頭脳労働は高が知れていると、私は思う。数年して思い返したとき、おそらく1920年の作品を、1950年くらいにアシモフが感じていたのと同じような楽観性を持ってみる事ができるのではないか、と感じる。
もう一つは、階級闘争の話。チャペックが「R.U.R.」を書いた1920年、発展してゆく機械文明に対するアンチテーゼというメッセージはもちろんだが、それ以外にも、労働者と富裕層という、階級闘争が前提とした隠喩が含まれていたはずだ。「経営者」と「ロボット」の対比は、「資本家」と「労働者」に対応する。そう考えると、この物語が今の時代にピンと来るのは、この闘争に、変化が生まれているからだ、と捉えるべきなのだと思う。「資本家」と「労働者」の階級格差は、先進国が豊かになっていく過程で底辺も豊かになる事で覆い隠されて来たというのが実情、だと私は思っている。「労働組合」が、必要なのに過去の遺物となっている事をみてもそれが分かる。しかし、インターネットの発展による破壊的な技術により、実はこの隠れた闘争がまた目に見える形になってきているのではないか。1990年代位から曖昧になっているこの境目に、再度、何かが起っているのではないか。成り上がりが億万長者になり、ヒルズあたりでブイブイ言わすイメージ。個人が資本家たりえる素地。そんな事を考えながら観ると、ロボットが世界を支配することが、既得権益を壊すことと対応していたりして、ナマナマしい同調と、嫌悪感みたいなものを同時に感じる。
物語の解釈について書き連ねてしまったが、物語を立体化させる舞台の構成としては、非常に美しい、鮮烈な舞台だった。役者たちの演技による世界観の表現、衣装・美術・照明をはじめとする舞台の魔術が、的確にこの世界観を表現していた。目にしたモノの残像としては、しばらくの間忘れる事ができないようなインパクト。
特に、照明の奇麗さと、衣装と世界観のアンマッチさが、おとぎ話の世界を立体化させていた。宇宙時代に何故かベールをかぶったり、貴族っぽい服を着ているヘレナの、時代設定に対するギャップ。第零原則を教えられているロボットは、子供の頃「ロボット展」で女性ロボットが着ていた、赤いスーツにそっくりだっり。迷い込んでしまった感、の表現が私にとっては的確に思えた。
上演に関して。R.U.Rは、おそらく幕間に休憩を挟む前提ではないか。やはり、上演時間2時間30分近くは長い。しかも、パイプ椅子中のパイプ椅子。お尻にも、膀胱にもよろしくない。2幕の後半、ロボットの製造方法を書いた秘伝の書を燃やしちゃった、あたりのやり取りはかなり冗長に感じたので、休憩を挟むか、このあたりをスパッと切る勇気が欲しかった。
気になった役者さん。
志村史人、登場人物としてはとても真面目な人だとは思うけれど。全体的な雰囲気が、物語全体に漂う「胡散臭いおとぎ話」を醸し出している感がした。佐藤晃子、時代にアンマッチな衣装、少し大げさな演技なのが、この物語を語るうえでとても重要なポイントだったと思う。和田周、存在感が半端ない、を10回くらい書きたい存在感。吉田朋弘、愛すべきロボット、壊れそうなロボット、扇動するロボット、死にたくないロボットの対比が鮮やか。近藤陽子、言葉悪いけれどロボット特有の「気味悪さ」みたいなのを常に表現。踊ってても、そう感じるのは凄いな。
今週、実は別の団体が、下北沢でR.U.R.を上演している。スケジュール的には観に行けないが、ちょっと対比が気になるところではある。
スマホ、パソコンで観ることができます!
初劇団を観に行くのは勇気が要りますが、観劇三昧で納得してから、劇場へ足をお運びください。
チラシの裏