<観劇レポート>KAAT神奈川芸術劇場「ライカムで待っとく」
【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 KAAT神奈川芸術劇場「ライカムで待っとく」の観劇レポートです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | KAAT神奈川芸術劇場 |
回 | KAAT神奈川芸術劇場プロデュース |
題 | ライカムで待っとく【11月27日~29日公演中止】 |
脚本 | 兼島拓也 |
演出 | 田中麻衣子 |
日時場所 | 2022/11/27(日)~2022/12/04(日) KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県) |
団体の紹介
横浜、山下公園の近くにある、公共劇場です。
過去の観劇
- 2024年02月03日【観劇メモ】KAAT神奈川芸術劇場「『箱根山の美女と野獣』『三浦半島の人魚姫』」
- 2023年12月23日KAAT神奈川芸術劇場「ジャズ大名」
- 2023年11月17日KAAT神奈川芸術劇場「SHELL」
- 2023年11月05日KAAT神奈川芸術劇場「アメリカの時計」
- 2023年07月27日KAAT神奈川芸術劇場「さいごの1つ前」 ・・・つづき
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
雑誌記者の浅野は、五八年前の沖縄で起きた米兵殺傷事件について調べることになったのだが、実はその事件の容疑者が自分の妻の祖父・佐久本だったことを知る。
佐久本やその共犯として逮捕された男たちの半生を絡めた記事を書きはじめる浅野だったが、なぜか書いた覚えのない内容に文章が書き換えられていた。そしてついにはその記事の中に、いつのまにか自分自身も飲み込まれていく。
過去と現在が渾然となった不可解な状況のなかで、沖縄が歩んできた歴史や現在の姿を知っていく浅野。記者として何を書くべきなのか少しずつ気づきはじめたとき、突然娘の行方がわからなくなってしまう。
混乱する浅野に、それは「沖縄の物語」として決められたことなのだと佐久本は告げる。その「決まり」に沿った物語を自身が書いていて、また書き続けていくのだと、次第に浅野は自覚していく。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2022年12月03日 17時30分〜 |
上演時間 | 120分(途中休憩なし) |
価格 | 4950円 神奈川県民割 全席指定 |
チケット購入方法
チケットかながわの電話窓口で、神奈川県民割で予約・カード決済しました。
セブンイレブンで予約番号を伝えて、チケットを受け取りました。
客層・客席の様子
男女比は5:5くらい。40代upの方が多かったです。
英語字幕エリアには、外人もチラホラ見かけました。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。
・シリアス
・考えさせる
・沖縄
観た直後のtweet
KAAT神奈川芸術劇場「ライカムで待っとく」120分休無
複雑な心境。中盤で物語がねじれてから、そんな安直な結論でいいのか?と久々に観劇途中で怒りを覚えたけど。着地点でハタと目覚め。神奈川の人はオトナ…それな。皆が笑ってるのに笑えない箇所が何度もで少し不快。そこで笑うか。超オススメ。 pic.twitter.com/w3xDP4dlYK— てっくぱぱ@観劇垢 (@from_techpapa) December 3, 2022
満足度
(5/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
ストーリーは、事前紹介の通り。筋を書き下すのがちょっと難しい。
前半は、偶然にも妻の祖父が、たまたま持ち込まれた写真・・・米兵を暴行して殺害した事件に関与していたり。死者を呼び出せるというおばあちゃんに逢いに行くうちに、祖父の時代の物語・・・回想シーンのような場面の中で、米兵を暴行した経緯のような物語が垣間見れたり。回想シーンにしては、わざわざ死者を呼び出してみたり、陽気だけれど不気味なタクシー運転手との関り、主人公の雑誌記者と沖縄との関りが、どこか、物語にしてはどこか現実味の無さ、が漂う。
後半は、過去の沖縄の世界に、主人公たちが迷い込んでいく。沖縄という、日本国内唯一、戦地となった場所から始まった、アメリカとの物語。現実と、過去の「沖縄の物語」が溶けていく。
途中、物語の境界線があいまいになったあたりで、ちょっと怒りのような感情がこみあげてくる。割とありきたりな「他者を理解する事は難しい」みたいなお話のように思えてくる。そりゃ、他者を理解するのは難しいだろうし、内地の人は沖縄の人を理解するのは難しいだろうよ。散々、フワフワした物語を振りかざしておいて、何だろその安直な話は・・・な思いがこみあげてきたのだけれども。
ラストのくだり。ライカム・・・元アメリカ軍司令部があって、今はイオンモールになった場所・・・で、記者の娘が行方不明になる。怒りを誘ってきた「自分」と「他者」という対立ではなくて、、むしろ「犠牲」の問題を言っているのだという事が、ラストでやっと分かってくる。犠牲になる側と、犠牲のメリットを享受する側。そして、その当事者としての「うちなーんちゅ」と、常に当事者ではない「内地の人」。冒頭、「神奈川の人は大人だから」と、神奈川で上演されているのに引っかけた冗談のような話を、ふと思い出す。私自身、米軍の基地がある県・神奈川に住んでいるのに、そんな事を意識したことがない。そこには、「犠牲」という概念が、あまり大きくないからなのかもしれない。
日本の安全を「買う」ための犠牲。その「犠牲の物語」が、沖縄では続いていて。うちなーんちゅは、その事から、犠牲から、決して逃れられない。米軍との個々の事件ではなくて、そういう大きな逃れられないものを、「物語」として演劇にして、時計とは逆回りに回転する舞台セットに「からめとられるように」巻き込んでいく。「内地の人」が、決して理解できる犠牲ではないのだけれど、その擬似的な感覚に浸していく。その意図が理解できたのは、ラストから数シーン前くらいで、途中までは、もどかしさと怒りも感じたが、最終的には物語を俯瞰して想像を巡らせる。そんな場所に立たせてくれる演劇だった。