<観劇レポート>東京芸術劇場「わが町」
【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 東京芸術劇場「わが町」の観劇レポートです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | 東京芸術劇場 |
回 | 東京演劇道場 第二回公演 |
題 | わが町 |
原作 | 原作:ソーントン・ワイルダー |
構成・演出・翻訳 | 柴 幸男(ままごと) |
日時場所 | 2023/01/25(水)~2023/02/08(水) 東京芸術劇場シアターイースト(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
東京芸術劇場では、芸術監督 野田秀樹の指揮のもと、舞台役者が集う修行の場を新たに開きます。野田をはじめ、東京芸術劇場に集う国内外第一級のアーティストたちの舞台創作の技と志に触れ、芝居人同士が互いに刺激を受け合う場を提供します。つきましては、そのメンバーを募集致します。本気で芝居人として生きていくことを目指す方、ふるってご応募下さい。
事前に分かるストーリーは?
東京演劇道場 × 『わが町』 × 柴幸男
野田秀樹が2度のオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーがソーントン・ワイルダーの名作『わが町』に挑みます。
本公演は2020年に野田が作・演出を手掛けた自身の代表作『赤鬼』以来2年半ぶりの公演となります。『赤鬼』はコロナの影響を受け、客席を半数に減らし、客席と舞台の間に飛沫防止の透明の仕切りを垂らし、感染症対策を周到に行った上で公演を行いました。全4チームに分かれリレー上演した公演は連日満員の中、幕を閉じました。
今回タッグを組むのは「その時、その場所で、その人たちとしかできない演劇」を創作し続ける劇団・ままごとの柴幸男。20世紀初頭、アメリカ合衆国での小さな町の物語が、2023年、“東京”芸術劇場で、“東京”演劇道場生によって“東京”の物語に変身(メタモルフォーゼ)する……!
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2023年1月26日 19時00分〜 |
上演時間 | 160分(途中休憩なし) |
価格 | 5000円 全席自由 |
チケット購入方法
東京芸術劇場のプレイガイドで購入・カード決済しました。
当日、受付で予約番号を伝えて、チケットをピッアップしました。
客層・客席の様子
男女比は6:4くらい。40代upの客が多かったです。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。
・シンプル
観た直後のtweet
東京芸術劇場「わが町」160分含休10
東京演劇道場の公演。柴幸男の演出でワイルダーのわが町を。んー興味深いなぁとは思うけど、あんまりしっくりこなかった。2幕は、解釈としては他のわが町でもありがちで。3幕のあのエミリーのセリフが好きなのに演出的に逆効果な気が。ちょっと肌に合わずガッカリ。 pic.twitter.com/lygQTo28sz— てっくぱぱ@観劇垢 (@from_techpapa) January 26, 2023
満足度
(3/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
ワイルダーの「わが町」。戯曲は好きで、額田やえこ訳の本を、もう何度も読んでいる。ここ何年かで、「わが町」をアレンジした作品は何作か観ていてどれも好きだったが、そのまま「わが町」を冠した上演は、まだ観た事がなかった。そこに、高校演劇をはじめ、様々なところで脚本を拝見している柴幸男の演出。これまで観てきた柴幸男の脚本はどれも好きで、大好きな「わが町」と「柴幸男」のコラボに、かなり期待値を高めていたのだけれど・・・ちょっとピンとこない作品だった。
各幕で感じたことを書き出してみると。
1幕は面白い。グローバーズ・コーナーの人々が、人形として演じられる。演者たちは特定の役を演じるのではなく、一人の村人の人形を持つ人を、次々と交代しながら演じる、村の平凡な生活。1900年代のアメリカの人々・・・っていうのが分かるちょっとステレオタイプな人形を、次から次へと演者を換えながら描いていく。ここは面白い。元々の戯曲でもこの淡々とした描写は、どこか退屈ではあるのだけれど、その退屈さ・・・というか、何気ない日常がこの戯曲の大切な部分なのだから、そんなものかな、という気もする。
2幕。婚礼のシーン。ここが「東京」という町での出来事・・・どちらかというと、出演している人々の住む町「東京」に置き換わる。それまで、平台、のようだった舞台セットが分解されて、東京の街並み。スカイツリーやレインボーブリッジ、タワマンや渋谷の109っぽいのが現れ、そこで生活する人々に変わっていく・・・のだけれど。これまで観た「わが町」のオマージュ作品でも、町を「自分の町」に置き換えた表現がかなりあったので、それ自体は「やっぱりな」って感じ。ただ、「東京」って、グローバーズ・コーナーと対をなせる概念なのかなぁ・・・みたいな事を思う。これが、芸劇がある「池袋」とか、全然関係なく「北千住」とかなら、なんとなく納得できるのだけれど。東京は、町ではなくて、街ですらなくて、もう都市。わが「町」と概念を対にしている気がとてもしなくて、突然話が大きすぎる。そこに違和感があるので、現代的な結婚式の「わが町」での位置づけに、何観てもどうにも強烈な違和感を持ってしまう。
3幕。エミリーが現世に戻る。舞台監督の「聖人か詩人なら、あるいは」に続くエミリーの独白が、とてもとても大好きで、物語全体がそこに続くお話・・・と思っているのだけれど。その部分、エミリー役を、舞台に出演している人すべてが演じるというスタイル。一人ひとりと、エミリーが増えていき。この台詞は、いわば「群唱」的に語られる(そして、前半には何となくあった「舞台監督」的な位置づけが、なくなっている)。その「解釈」あるいは「演出方法」が、どうにも元々の「わが町」とは大分かけ離れてしまっていて、違和感。基の作品をいろいろとアレンジする試みだとは思うものの、何だか大事なものを壊されたような感覚が強くて、作品全体を受け入れられなくなってしまった。