MONO「はなにら」
【ネタバレ分離】
どもっ\(´▽`*)。てっくぱぱです。昨日観た芝居の感想です。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
MONO
「はなにら」
脚本・演出 土田英生
2019年
03/02 (土) ~ 03/10 (日) 吉祥寺シアター
03/16 (土) ~ 03/17 (日) 穂の国とよはし芸術劇場PLAT アートスペース
03/23 (土) ~ 03/27 (水) ロームシアター京都ノースホール
03/30 (土) ~ 03/31 (日) JMSアステールプラザ 多目的スタジオ
観劇した日時 | 201*年3月6日 19時00分〜 |
価格 | 4200円 全席指定(プレイガイドで発券) |
上演時間 | 120分(途中休憩なし) |
Corich満足度 | ★★★★☆(4/5点満点) |
客席の様子・観劇初心者の方へ
50歳upの女性の客層が多かったですが、他の年齢層も多くいました。
観劇初心者にとっては、非常に観劇しやすい舞台です。
MONO?
劇団の歴史や公演記録はあるのですが、劇団そのもののプロフィールはありませんでした。ホームページの右上に小さくこう書いてあります。
MONOは京都を拠点に活動する劇団です
という事です。私自身も、どこかで聞いたことのある劇団名。薄っすら知っている劇団です。結成30周年との事。
https://www.c-mono.com/
事前に分かるストーリーは?
ホームページにはこのように書かれています。
20年前の天変地異により、親や子供を失った人たち。
他人であったはずの彼らは寄り添うように家族になった。たくさんのお父さん。
顔もバラバラな娘たち。
拒絶、喧嘩、涙、そして笑顔を何百回も繰り返し、 今、旅立ちの時は来たようだ。
ところでMONOは結成30周年。今回は疑似家族の物語です。
一緒にいるとはどういうことか? 別れとはいったいなんなのか?
という事で、家族の物語。twitterで好評が流れていたので、楽しみです。
感想(ネタバレあり)
20年前の火山の噴火で、大事な人を無くした人々。残された人がたまたま一緒に住みだした、二つの「家族」。ズボンのすそを離さない生徒を養子にもらった先生と。身寄りを無くした子供たちを育てた、お父さんたち。時は20年経って、育った娘の婚約を期に、家族はゆっくりと「解散」を始める。それぞれの人生を選び出し始める、家族たち。静岡から少し離れた所にある沖合の島にゆっくりと流れる、家族の自立の物語。
ストーリーは、パンフレットの通りだが、補足としてまとめるとこんな感じだ。
家族から離れるって何だろう、自立って何だろう、結婚って何だろう。あえて、血のつながっていない家族たちと、その自立を描くことで、そもそも「家族って何だろう」っていう事を観ているものに考えさせてくれるお話。話題は深刻でも、お話の基本はコメディ。笑と共に島に流れる時間はどこかおおらかで、ゆっくりしていて。そんな雰囲気の中で、20年の時が満ちて熟した家族たちが、一人一人、行く末の事を考え出す。生きるために寄り添った20年前とは違い、老いるまで、このままの生活を続けていくわけにはいかない。そんな折、一人の家族が、かつて村を捨てて出て行った者と婚約することをきっかけに、少しずつ変わっていく・・・。
一人一人のキャラクターがしっかりしていて、ジワジワと暖かくなっていく。その感覚は非常に楽しめた。
気になってしまったのが、全体的に「達観した視点のムラ」みたいなものが混ざっている事。この「ムラ」に終始悩まされた。
「ムラ」の例を脚本でみてみると。
舞台の上で役柄として生きている人々が、突然、第三者視点で、俯瞰して自分を語り出してしまう事が、多数。「血のつながっていない家族でも、ここまでの関係と感情が芽生えるのに・・・家族って一体、何なんだろうなぁ~」って、いいシーンでこっちが考えているときに、「家族って何なんだろうって考えさせられちゃう」的なセリフが、追い打ちで出てきたり。あるいは、島が変わっていかざるを得ないのを見て感じている観客に、「島も変わっていくなぁ」とか言われたり。
ナチュラルで重厚な会話劇のはずなのに、その「ムラ」の部分だけ、突如、妙に、不自然な感じ。MONO作品の特徴なのか、本作だけなのか分からない。しかも、意図的にやっているように感じるが、それも確信がない。その「ムラ」に出合う度に「達観してねーで、もっと必死に生きろよ」って、舞台で生きる人に、突っ込みをいれてしまう自分がいた。
「ムラ」の例を役者さんで見ると。舞台上で「大切なことに気が付く」事を演じる事と、「大切なことに気がついてね」と説明することは違う・・・みたいなシーンが、何度か。後者で迫られると、突如、こちらがしらけてしまう自分がいて、急に体がモゾモゾして目のやり場に困ってしまったりした。達観した視点での演技をされてしまうと…それは違うよ、と。役を生きてよ、説明じゃなくて気が付く感情の変化を舞台で見せてほしいなぁ、と。
ここまて緻密に作られているものなので、途中からこの「ムラ」が意図的に挟まれているんじゃないか、と思うようになってきた。「自分が感じたことがすべて」とばかりに自信を持って観劇できる客であれば、解釈を観客にゆだねられることも出来るのかもしれないが、そういう客ばかりでもないのかもしれない。「どう解釈したらいいのかヒントが欲しい」という客にとっては、ある程度解釈の方向性が示されているので、この舞台はとても、分かり易かったかもしれない。
舞台を観慣れてくると、あるいは解釈の遊びを楽しめるようになると、MONOの舞台は不満を持ってきてしまう舞台なのではないか。今日もどこか手放しで「すげー面白かった」と言えない残尿感が私の中にあるのは、この「分かり易さ」のせいかもしれない。
役者さんで好きだったのは。金替康博が演じる寺田千鶴夫と、立川茜が演じる寺田歩羽。特に、中盤の2人のシーン。両親を亡くした子供と、その担任の先生が、養子縁組をしてはじまった、二人家族。成長した子供はと先生は、傍からみるとどこか「夫婦」のようにも見える。そんな視線も気にせずに、お互い慈しみ、尊重し、でもどこか他人との仲を嫉妬もする。このシーンを観ていれば、この二人がどんな20年を過ごしてきたか、目頭に思い浮かべることができる。説明なんて不要なこの二人の関係が好きだった。それと、水沼健が演じる、野々宮健也。素直にカッコいいなぁ、と。見とれてしまった。