<観劇レポート>快快(FAIFAI)「ルイ・ルイ」
観た芝居の感想です。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
団体名 | 快快 |
回 | 快快(FAIFAI)新作公演 |
題 | ルイ・ルイ |
脚本 | 北川陽子 |
演出 | 快快 |
日時場所 | 2019/09/08(日)~2019/09/15(日) 神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県) |
劇団紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
2008 年結成。東京を中心に活動する劇団。変化し続けるメディア、アートの最前線にアクセスしつつ「演劇」をアップデートし、社会性とポップで柔らかなユーモアを併せ持つメッセージで幅広い支持を得る。2009 年よりアジア、EU にも活動の場を広げ、2010 年9 月代表作『My name is I LOVE YOU』でスイスのチューリヒ・シアター・スペクタクルにてアジア人初の最優秀賞、「ZKB Patronage Prize 2010」を受賞。国際的にも注目されている。主な作品は『My name is I LOVE YOU』(2009)、『Y 時のはなし』(2010)、『SHIBAHAMA』(2010)、『アントン・猫・クリ』(2012)。『りんご』(2012)が第57 回岸田國士戯曲賞候補となる。『6 畳間ソーキュート社会』(2013)、『へんしん(仮)』(2014)、ハイバイ岩井秀人氏を演出に迎えた『再生』(2015)は2,000 名を超える動員を記録。ホテルのスイートルームで上演した『CATFISH』(2017)も話題を呼んだ。ツアー型演劇「ウェルカムチキュージン」(2017)や、フェスティバル/トーキョーまちなかパフォーマンスシリーズ『GORILLA ~人間とは何か~』など劇場を飛び出したパフォーマンスにも定評がある。
事前に分かるストーリーは?
劇団ホームページには、こんな記載がありました。
ぬいぐるみの名前はルイ。
絶滅したニホンオオカミのぬいぐるみ。
かれらは、何らかのいのちを模して作られた、ひとじゃない友だち。
日々の側に置いておきながら、わたしだけの世界にも共に飛んで行ける存在。
時にひとは、社会じゃない世界、に行く事でパワーをもらえて、その世界がたしかに存在した、と思うことで、どんなに歪んだ現実にいても楽しく生きてける術をもってる。
この作品を目撃した人にとって、ルイルイもそんな感じの、あの時たしかにいた、忘れられない友だちみたいな、時間になりたい。
現実に切り込むために踊り狂うピエロは、現実を踊らせる事を願ってる。
すべての命の、累々のかがやきに目眩しながら、人類のさみしさに寄り添って、思う存分飼いならしてみたい。
観劇のきっかけ
KAATでの公演という事と、チラシを見て決めました。
ネタバレしない程度の情報
上演時間・チケット価格・満足度
観劇した日時 | 2019年9月9日 19時30分〜 |
価格 | 3500円 全席自由 事前にプレイガイド発券 事前付与整理番号順に入場 |
上演時間 | 105分(途中休憩なし) |
個人的な満足度 CoRichに投稿 | ★★★★☆ (4/5点満点) |
客席の様子
男女比は、4:6くらいで、やや女性が多い。男女ともに年代層が様々で、一人で観に来られた方が多いように感じました。開演前の客席は静かでしたが、少し聞こえてくる会話から、快快の固定ファンの方が多いように感じました。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも安心して観る事が出来る舞台です。
観た直後のtweet
快快(FAIFAI)「ルイ・ルイ」105分休無。
物語は無いような有るような、やっぱ無いような。脳というか心に直接語りかけてくる。優しいのにものすごく寂しい気持ちになったけど、空腹で観たので、グーグーなる自分のお腹に生きてることを実感させてもらい。パフォーマンス要素強い演劇かな。オススメ。 pic.twitter.com/BZKlEY7K9p— てっくぱぱ (@from_techpapa) September 10, 2019
感想(ネタバレあり)
ストーリーは、あって無いようなものだけれど。
舞台を控えた女優は、セリフを自分の言葉として発するには、どうしたらいいのか悩んでいる。そんな折、その女優の脳内に直接語りかけてくる、ラジオ番組が流れはじめる。全編ニホンオオカミのぬいぐるみ「ルイ」が、ラジオのDJ。(舞台上のぬいぐるみは、演者が手で操作し、声はスピーカーから。おそらく録音。)流れてくる曲の曲紹介は、必ず「ルイ・ルイ」。曲が紹介されるたびに、短い劇が上演され。ルイ・ルイの様々なバージョンを観ながら進む、脳内に響き渡るラジオ番組の時間・・・と、かなり強引にストーリーだけをまとめると、こんな感じ。
作品のテーマ的な部分の解釈を、無粋にも書いてしまうと。
全編通じて、ラジオのDJが、まるでラジオ番組名かのように何度も語るのは「ギブ・アップ・ザ・シアター」。また「劇場をジャックした」という言葉が所々に出てくる。「ルイ・ルイ」の様々なバージョンに乗って流れる曲は、どこか現実なのか、夢なのか、あるいは、過去なのか、未来なのか、どんどん区別がつかなくなっていき。もちろん、劇場で「創る」事と「観る事」の区別、「演じる」事と「日常」の区別も、徐々に曖昧に。いろんなものの境界線を揺るがせるような、そんなお話。特にテーマらしき説明やお説教臭さは全くなく、自然と説明なく理解できてしまう。そんな感覚が、どこか心地よくもあり、テーマを掴んだのちに、居場所を確認するために「手すり」に掴まりたくなるような、そこはかとない寂しさもあり。ラジオ番組の「ルイルイ」と同様、観客の脳内、あるいは心に直接、語りかけてくる感覚なので、ストーリーを追いかける事にそれ程意味はなさそう。ただ、舞台で共有した感覚、感情、浮遊感みたいなのを、後々思い出せるようにスケッチ的に書き留めたくなる。そんな舞台だった。
という事で、スケッチ的にシーンを書き留めておくと。
境界線が曖昧になる点、特に覚えているのが二つ。
全編、ダンスというか、肉体表現の多い舞台だが、あるシーンで「これからダンスするぞ」みたいに言うのだけれど、結局、何かをしゃべって終わりで、それを「ダンス」と呼称している世界だったり。・・・ダンスって何がダンス何だろうと、定義めいたことを、ふと思って納得してしまったり。
「最近夢で、異国の八百屋で野菜を売っているシーンを見る。自分は異国語を喋っているのだけれど、どこか現実のような気もするが、全然楽しくない。」というセリフが途中で出てくるのだけれど、後半、正にそれと同じシーンが、実際に出てくる。一度も見ていないはずなのに、妙に懐かしい既視感があり。おそらくポルトガル語?のやり取りも、妙なリアリティがあり。何故か、八百屋の客と歌を歌う事になって。もちろん歌う歌は「ルイ・ルイ」。なんだろう、この妙な境界線を崩される妙な感覚は、と思いながらの観劇だった。
客席が一番盛り上がったのは、内田裕也というか、X Japanの誰かのようなサングラスをかけた妙な日本人が、片言の英語を使ってごみの分別やら何やら、愛について語りかけるシーン。あれは一体何なんだろう。ものすごいインパクトと、笑いだった。
客席に骨が回ってきた。原始人っぽい人から、骨を渡されて、隣に回すように言われる。しっかり骨を味わう(上下に傾ける)ように言われる。面白い。
KAATの大スタジオの通常の使い方ではなく、通常の舞台の下手奥が楽屋で、Lの字型に少し高みの舞台を設置する形式。客席はパイプ椅子。天井までハシゴが伸びていて、空を表すのか宙に浮いた舞台装置が、非常に美しかった。加えて、衣装が特徴的。衣装を見ているだけでも、楽しい。
気になった役者さん・・・対応付けが分からないんだけれども。おそらく、山崎皓司ハシゴのシーンと、片言英語のシーンは忘れられず。おそらく、初音映莉子?。何だか不安定な感覚が面白くて。舞台に殆ど出ずっぱり。おそらく、大道寺梨乃?、前述の八百屋の話が忘れられずだった。
途中の撮影OKタイム。