<観劇レポート>雀組ホエールズ「ピラミッドの作りかた」
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
団体名 | 雀組ホエールズ |
回 | 雀組ホエールズ第16回公演 |
題 | ピラミッドの作りかた |
脚本 | 佐藤雀 |
演出 | 林高士 |
日時場所 | 2019/11/27(水)~2019/12/08(日) シアターグリーンBASETHEATER(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
横浜がホームグラウンドですが、公演は都内を中心に活動。
雀組ホエールズは「社会派」といわれることが多いですが、作品の根底は「思いやり」をテーマにしたいと思っています。「恥ずかしいくらいに正直な思いを伝えてみて、そこからどう思われるかはお客様に委ねるしかない」そう考えています。現実がどんどん殺伐としていく中で私たちがお伝えできることを探していきたいと考えています。
また雀組ホエールズは、小劇場の面白さを初めて演劇に触れる方にお伝えしたい。演劇ファンはもちろんですが、演劇を観たことがないという人にこそ、見て欲しいんです。お金を払って90分以上、狭い空間に押し込められて、なんだかお金も時間も損した気分になる、それが演劇。そんな風に思ってる方にこそ見て欲しいんです。
楽しい、笑える、そして泣ける。舞台上の役者たちと観客が一体となって作り上げる空間。それが演劇の魅力だということを体験して欲しいんです。役者はお客様の空気を敏感に感じる。そしてお客様も、そんな役者の空気を感じることができる。舞台の上と観客席がお互いに心を開き合ったとき演劇は、最高のエンタテインメントになるんです。
映画は1800円、演劇はその倍以上の値段がかかります。雀組はそのことを踏まえて、「お客さんに損はさせない」そういう思いで演劇を作り上げて本番に臨みます。そんなわけで、一緒に小さな空間を共有しましょう。
劇場でおまちしています。
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
エジプト王朝最後の女王・クレオパトラはローマとの決戦を目前に、現代に迷い込んだ。
そこには芸術を愛し、芸術を信じ、芸術に苦しむ人たちがいた。
陶芸、文芸、企画、批評、ダンス、さらにエジプト王朝初代ファラオの生まれ変わりも。
ピラミッドは芸術なのか?
スゴイって何なのか?そもそも芸術って何なのか?
雀組ホエールズが無理難題に挑戦します!!
観劇のきっかけ
大好きな劇団です。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
観劇日時 | 2019年12月3日 14時00分〜 |
上演時間 | 120分(途中休憩なし) |
価格 | 4500円 全席自由 |
チケット購入方法
劇団ホームページからのリンクで、チケット購入申し込をしました。当日清算でしたので、当日受付で、前売り料金を支払いました。
客層・客席の様子
平日マチネということもあり、シニア層が多め。男女比は半々くらいでした。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。
・笑える
・考えさせられる
・にぎやか
・元気になる
・芸術とは
観た直後のtweet
雀組ホエールズ「ピラミッドのつくりかた」120分休無。
ひっちゃかな設定だが、表現とは?、芸術とは?、という問いにどう考えるかの物語。あの一言に集約させる結論は好みではないが。過程にこそ、人の心にこそ、存在するものかな。パトラと下品門下いい。若い表現者に届いて欲しい話かも。オススメ。 pic.twitter.com/ALpkWqpypB— てっくぱぱ (芝居と酒好き) (@from_techpapa) December 3, 2019
映像化の情報
情報はありません。
満足度
(4/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
ストーリーは。
陶芸家、菊右衛門の一家。娘がエジプトに旅行にでかけて。お土産にクレオパトラとアントニヌスの人形?を買って帰ったら。菊右衛門にはその人形が動き出して見えた。祖母、あおいにはその人形が見え、あおいの事をナエジプトの女王だと呼んでいるが、他の人には見えない様子。ピラミッドは芸術か、何故芸術か、などと質問する。陶芸家、菊右衛門は、悩んでいた。新進気鋭の若手陶芸家、源水と対決形式で展示会をすることになり。芸術とは何かを悩んでいる。一方、寺山周治は、幼少時代母から愛されなかったことを原動力に、物語を書き続けている物語も交錯し・・・。悩む菊右衛門。町の陶芸教室、下品(しもしな)などとの出会いもあり。その答えを見つけ出していく・・・と強引にまとめるとこんなお話。
寺山周治(修司?)の世界や、クレオパトラ・アントニウスの世界、そして秋元也寸志(秋元康?)まで登場して、物語の登場人物だけを俯瞰すれば、一見すると、かなりカオスだ。しかし中身は、表現するとは何か、芸術とは何なのか、という問いを基に、何かを表現しようとしている作品だった。表現する、という事に身を置いたことがある人なら、一度は考えるであろう問題を、なんとか解釈して提示しようと試みていた様に感じる。時代設定的に合わない人々が、名前を少し変えていろいろと登場してくるのも、アントニウスの突っ込みが次々入ってくるのも、ストレートなテーマの照れ隠し的な部分があったのだろうと思う。テーマ自体は、ストレート過ぎるくらいに、ストレート。・・・役者さんの技量に、ちょっと差が激しいのかな・・・、作品としては粗削りな部分が多かったのは否めないものの、ラストに向かっていく過程については、うっすらと涙するのを止められなかった。
ここから先は、芝居を観た上での自分自身の意見も含まれる考え方になるが・・・。劇中、サラッと言葉に出てきたように。結局「芸術」とは、人の心の中にあるものだ。「芸術」という絶対的なものが存在する訳ではなく、一人一人が何かを観た時に感じる、その心にこそあるものだ。「花が美しいのではなく、美しいと思う心があるのが美しい」のと同様だ。秋元也寸志の世界や、評論家の貝原雄山の世界などは、「芸術」を、あたかも、元々存在するモノのように捉えて、それで金儲けを考えていて。それ自身は悪いことではないが、やはり「芸術」とは異なる。・・・物語は「お金」と「芸術」の相容れなさだけを語っているわけではなかったが、その部分の対比が、一番分かり易く提示されていたように思う。
作品の結論・・・表現・芸術は「愛」っていう結論は・・・、私的にはあまり納得できるものではなかった。結論は「愛だ」って豪語する、多々ある芝居と同様、「愛」っていう一言で全てまとめるのは、ちょっと無理がある。寺山修司の世界観も並行して出てきて、彼の表現での「愛」や「母性」みたいなものは、理解は出来るけれど。うーん、だからって、芸術=「愛」で何でも解決するなよ、というような風に思った。菊右衛門の陶芸が、受け入れられたのは、そこに家族や他人を動かす何かが内包していて。「芸術」とは、「他人の心」である事に気が付いた菊右衛門が、その心で作品を作ったから、という風に解釈した。やっぱ、「愛」っていうだけじゃ、いろいろと説明がつかないよ、と、どうしても思う。
表現に関する事。若い人がもっと観て欲しい作品に思えたけれど。マチネを観たからだろうか。かなり年齢層が上。特に演劇をやっている若い人達には、いろいろと刺さる部分が多い作品なんじゃないかなぁ、と思った。
印象に残った役者さん。阪本浩之、安定の演技。毎回やっぱりいい味出しているな。今回は全編にわたって、みんなにちょっかいを出していて。棚橋幸代、クレオパトラ、立ち姿、メイク、衣装、奇麗で好きでした。頭に乗っているコブラ?が、横から見ると小鳥か何かに見えて、それも好き。夏井貴浩、悩む感じの役をやるととても似合うなぁ。尾上貴宏、寺山修司っぽい感じっていうの?あの影がある感じははまり役。どこか別の場所で観た気がするのだけれど・・・思い出せず。井上晴賀、前回の「ワスレナグサ」とは大分変わって、おばあちゃん役。あのケツをわさっと掴むの、いいな。