<観劇レポート>劇団肋骨蜜柑同好会「2020」

#芝居,#劇団肋骨蜜柑同好会

【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 劇団肋骨蜜柑同好会「2020」の観劇レポートです。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名劇団肋骨蜜柑同好会
劇団肋骨蜜柑同好会第14回
2020
脚本フジタタイセイ(劇団肋骨蜜柑同好会)
演出フジタタイセイ(劇団肋骨蜜柑同好会)
日時場所2020/12/03(木)~2020/12/13(日)
サンモールスタジオ(東京都)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

劇団肋骨蜜柑同好会とは
げきだんろっこつみかんどうこうかいとは
東京を中心に演劇活動を行う。2010年の旗揚げから現在に至るまで、手探りで、暗中を模索するように活動中。
主宰フジタの標榜する「演劇とは方法論ではなく存在論である」という言葉のもとに 、言語による世界の腑分けを試み、「生きづらさ」を抱えた人たちの救いとなることを考えている。
頭のねじがどこか緩んでいるようなズレた登場人物と、捩れたメタフィクション的な構造、既製品を多用したシンプルで分裂的な舞台構成が特徴。
ストーリーやメッセージを極端に廃し、あるいは換骨奪胎し、あるいは解体し、その先の地平にたどり着くべく、過剰に論理的に「なぜ演劇なのか」を問い続ける。問い続けたい。問い続けられますように。
コミュニケーションはいつも、祈りの形に。

劇団肋骨蜜柑同好会

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

〈今〉かもしれない。
〈ここ〉かもしれない。
〈私〉かもしれない。

彼らは、突然やってきた。
そして山の麓でひっそりと暮らしはじめた。
最初はただの趣味の集まり。
いつの間にやら人は増え、ついには立派な小屋を建てた。

暗い部屋でひとり、僕は横になってテレビを見ている。
ブルーライトは眩しすぎて、新聞の文字さえ読めやしない。
ジョージ・オーウェルから36年と36年。
失楽園からはおよそ10年。
時は矢のように、夢のように過ぎ去った。
人が増えれば眼も増える。
小学生でも解る簡単な計算。
僕と君の間にあるものは、今にも冒されようとしている。
そして我々は口を覆われる。
何かしなければ。何かしなければ。
そろそろ、立ち上がる時間だ。

劇団肋骨蜜柑同好会が満身の力で叩きつける、妄想都市の10年史。

〈今〉じゃない。
〈ここ〉じゃない。
〈私〉じゃない。

近寄らないで、愛しているなら。

観劇のきっかけ

前回の作品が面白かったからです。

過去の観劇

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2020年12月4日
13時00分〜
上演時間160分(途中各10分5分休憩あり。)
価格4500円 全席指定

チケット購入方法

劇団ホームページから、予約しました。
当日、送られてきたQRコードをスマホで見せました。Suicaで決済しました。

客層・客席の様子

男女比は6:4くらい。年齢層は様々でした。

観劇初心者の方へ

観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。

芝居を表すキーワード
・シリアス
・考えさせる

観た直後のtweet

映像化の情報

情報はありません。

満足度

★★★★★
★★★★★

(3/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

全体的に、うまく理解を出来ない芝居だったのだけれど。頑張って解釈すると、パラレルワールドの描写なのかな、と感じた。…他にもたくさん解釈がるだろうと思う。演劇をする時の「過去の自分」だったり、創作に関わる人の脳内ワールド、の解釈もできる気もする。いろいろと思いを巡らして観たものの、自分の中で一番しっくり来たのが、パラレルワールドだった。割と安直な解釈に飛びついた、なのかも知れない。

オウム真理教?連合赤軍?北朝鮮?新しき村?・・・な雰囲気の、田舎の「劇団」(蜜柑じゃなくて、リンゴなんちゃら。忘れてしまった)。そこにあるのは不自由で、統制で、嘘で、欺瞞で。別の未来線にいる観客の視点は、それがどうしてそうなってしまったのかは、よく分からない。ただ、表現することが、何か別の事に置き換わってしまったような、そんな世界。きっと、演劇が目指すべき表現とはかけ離れている世界…少なくとも、劇団肋骨蜜柑同好会が目指すべき世界とは、異なる場所の描写なのだろうと思う。

どうしてこんな世界が展開されてしまったのかは、細かく描写されていない。細かなセリフのやり取りから思い当たるのは、芸術に対する日本政府の雰囲気だったり、劇団内のパワハラと主宰者の歪んだ自己愛だったり、SNSでの醜い争いだったり。そんな今の社会に渦巻いている問題が、何らかのキッカケで大きくなってしまい、演劇をする事が「こじれて」しまった「もうひとつの世界」なのだろうか、と思う。

コロナは、物語自体に直接関係ないようにも思うけれど、2020年の今、コロナ禍で明らかに変ってしまったり自粛せざるを得なかった今の演劇に対して、もう一つの世界から「こんな世界は望んでいないだろう、今の世界を大切にしろ、今の演劇を大切にしろ」という、ストレートなメッセージの語りかけのように感じた。

暗い世界観だし、何故こんな世界なのか、というのが殆ど描かれないからだろうか。観ている最中、自分の心の拠り所みたいなものが失われて、観ている私自身の心が、不安定なまま進んでいったののが気になった。それも狙いなのかもしれないけれど、観る時の世界の補助線というか、安全手すりみたいなものがあると、のめり込めたのかな、と思った。