<観劇レポート>NICE STALKER「スペキュレイティブ・フィクション!」
【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 NICE STALKER「スペキュレイティブ・フィクション!」の観劇レポートです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | NICE STALKER |
回 | 本当のSF |
題 | スペキュレイティブ・フィクション! |
脚本 | イトウシンタロウ |
演出 | イトウシンタロウ |
日時場所 | 2021/12/01(水)~2021/12/05(日) ザ・スズナリ(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
作家イトウシンタロウを主宰とする「個性的な女子」をフィーチャーした作品制作を行う団体です。最新のWEBやIT、プログラミング技術を駆使し、デジタル・ネイティブ世代の肌感覚に沿った「オンラインの身体」の実感を舞台上に再現しています。イトウの個人企画を経て2014年頃より正式に団体名を「NICE STALKER」として活動しています。
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
▼STORY
「SFって聞いて『サイエンス・フィクション』の略だと答えるのは一般人。『すこし・ふしぎ』って答えるのは、訳知り顔の事情通。…だけど、21世紀も20年を過ぎて、今さら藤子不二雄もないでしょう?」 「じゃあ、先輩にとってSFは何の略なんですか?」「…スペキュレイティブ・フィクション!」
「科学」では定義することのできない「不可怪」を再定義する思弁、熱弁、詭弁の数々。安易なボーイミーツガールには絶対なり得ない、小理屈と屁理屈に溢れたスペキュレイティブな物語。
【※スペキュレイティブ・フィクションとは?】
1960~70年代に巻き起こった「ニューウェーブ運動」において、「サイエンス・フィクションは大衆的で浅薄である」という偏見に対抗するために、「SF」を哲学的・思弁的(Speculative)な観点から捉え直す事を目的に掲げられた造語。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2021年12月3日 19時00分〜 |
上演時間 | 130分(途中休憩なし) |
価格 | 3800円 全席指定 |
チケット購入方法
劇団ホームページから予約しました。
当日、受付でお金を払い、指定席券をもらいました。
客層・客席の様子
男女比は6:4くらい。
若めのお客さんが多かったように思いますが、様々な年代層の客がいました。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。
・SF
・不思議
・考えさせる
観た直後のtweet
NICE STALKER「スペキュレイティブ・フィクション!」130分休無
きっと好き嫌い分かれそうだけど。めちゃ面白かった。怪異、私も全く信じてないけど、虚構とか信仰とかに重ねて、丁寧に説明された感覚だった。SFとしては割と王道でベタだけどそれでも楽しいし。舞台の魅せ方、キャラも良。超オススメ! pic.twitter.com/7xJ3pqTMQo— てっくぱぱ (@from_techpapa) December 3, 2021
満足度
(5/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
SF研究会のマドンナのナツキが好きな善雄。毎日話していたら、仲良くなった。たまらなくなって告白したら、「君がしているのは恋ではなくて、「怪異」の仕業。私には怪異が見える。だからそれは怪異の仕業であって「好き」ではない」という先輩。でも、そんな中、先輩の幼馴染のSF研の部長は、昔からナツキの特別な能力を知っていたようだ。嫉妬心にまかせて先輩の能力を否定したら、体調を崩して保健室に行くナツキ。そこに、オカルト研の先輩や、いるはずのない妹まで現れて・・・。善雄とナツキの、時空を超えた恋はどうなるのか・・・という話だけれと・・・おそらく物語の解釈というか、捉え方はたくさんありそうな物語。各所に、往年の、あるいは比較的新しいSF作品の要素をふんだんに盛りこんだ作品。
ナツキさんが見てしまう「怪異」・・・オカルト的な、お化けのような、妖怪のようなものが他の人には見えないのは、物語や信仰を信じられない人がいるのと同じように、信じるに足る根拠が今の時代にはまだ存在しないからだ、という事が繰り返し語られる。根拠が無いなら、論理的に証明できないなら、物語として証明しなければ、この世にその存在を示すことができない。作家ウンベルト・エコーの言葉、「理論化できないことは物語らなければならない」を度々引用しながら、そして、時に古今東西のSFの要素を借りながら、後半は、その存在を証明するように、物語が展開していく。
作品全体にいろいろな要素が詰まって入るものの、少し引いた視点でこの物語を観た時、つまるところは「私は、論理化か出来ない。それが、我々が虚構の中で物語を語る理由なのだ」という事を、繰り返し繰り返し、訴えかけられているように感じる。・・・私自身、オカルトや超自然的なものを、余り信じていないタイプの人間だけれども、繰り返し語られる「物語らねばならない」という事に、妙に納得感を持たずにはいられない。劇中、善雄の妹や、元オカルト研究部(オカ研)の部長など、その存在を論理では説明できないけれど、物語の一環として出てくるなら、たとえ怪異を信じてはいなくても、納得は出来る。少し飛躍すると、水木しげるなどの妖怪を研究した人々は、正にこの感覚の事を言いたかったんじゃないだろうか…なんていう事を、劇中ふと考えたりもした。
・・・とはいえ、物語の解釈や楽しみ方は1つではないような気もする。古今東西の様々なSFの要素が織り込まれていて、どこか箱庭のような舞台装置の中で語られる物語は、不思議で、魅惑的で、どこか「超えられない一線の先」の物語のようにも感じる。魅惑的なSF、スペキュレイティブ・フィクションの世界に迷い込み切った時間だった。