<観劇レポート>中野坂上デーモンズ「安心して狂いなさい」
【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 中野坂上デーモンズ「安心して狂いなさい」の観劇レポートです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | 中野坂上デーモンズ |
回 | 中野坂上デーモンズ 第21回 |
題 | 安心して狂いなさい |
脚本 | 松森モヘー |
演出 | 松森モヘー |
日時場所 | 2022/04/17(日)~2022/04/24(日) 北とぴあ ペガサスホール(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
中野坂上デーモンズとは
ENBUゼミナール2011年ノゾエ征爾クラス在学中、松森モヘーを中心とした演劇のチームとして発足。
2012年、劇場旗揚げ公演を前にチーム内での確執・裏切り・陰謀・争いをへて現在の形となり本格的に始動する。2020年、中尾仲良・安藤安按が加わり8年の期間を経て「劇団化」した。
全てを出し切り「何かはわからないが業の深いもの」を生み出すスタイルは唯一無二であり、見るものを謎の感動と不快感へと引きずり込むが、何も感じない人もいる。近年は、高速で会話やコミュニケーションをおこなう完成度を追い求めたり、常軌を逸するほどの大きな声をだしたり、「演劇」という行為自体を問う「演劇」を主題に活動を続けてきた傾向がある。その過程で生まれた作品の特徴として「混沌」や「祝祭性」を挙げられることが多い。
また劇場のみならず、様々な音楽イベントやコンクール・フェス等にも積極的に出演する。
過去の観劇
- 2022年01月13日 中野坂上デーモンズ「死んだと思う」
- 2020年12月26日 中野坂上デーモンズ 「間」
- 2020年08月14日 中野坂上デーモンズ 「終わる」
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
佐藤佐吉演劇祭2022 参加作品
【 ご挨拶 】
旗揚げ十周年記念公演、第2幕やります。
と同時に演劇をしている場合ではないと日に日にそう思うことが多くなりました。
でもこの状況を安易に批評することも私の思う演劇の役割ではない気がします。
この2年間、演劇は不条理なほど粘り強く存続してきたと感じていて、
それはちょっとグロテスクで気味わるく感じるほどでした。
もはや個々の事情とは関係ないのだと思うと同時に
「演劇自体」の存在したいという意志みたいなものに恐くなりました。
そしてその分これまで以上に「演じる」ということに興味を持ちました。
演劇は何のために存在し続けようするのか。
少なくとも、身の危険を感じる時に「正気を保つため」人は「演じること」が必要だと思います。
それをわざわざ平穏な正気の状況でおこなうなんて「演劇」は狂っている。
演劇とは安心して狂うための仮想空間なのではないかと思いました。劇団代表 松森モヘー
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【 あらすじ 】
メタバースの話がずっとやりたかったのです。
でもそれを基にいま頭の中で散らばる物語をどれだけ
組み立てようと試みても全然「あらすじ」にまとまりませんでした。
同時にとにかく“青春群像劇”が書きたい。
つまり“メタバース(仮想空間)”で行われる“青春群像劇”がやりたい。
自分でもどういうことかまだ意味わからないのですが、とにかく書きたいです。
頭の中のこと全部書きたいです。
(注:あらすじは全く変わることがあります)
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2022年4月22日 14時00分〜 |
上演時間 | 100分(途中休憩なし) |
価格 | 3000円 全席自由 |
チケット購入方法
劇団ホームページからのリンクで予約しました。
当日受付で、現金でお金を支払いました。
客層・客席の様子
男女比は5:5くらい。様々な年代層の客がいました。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。
・メタバース
観た直後のtweet
中野坂上デーモンズ「安心して狂いなさい」100分休無
んー訳分からんかった。興味深い世界観ではある。バーチャリティがもてはやされた80-90年代に散々作られた物語にどこか似ている気が。ミザンス…って言葉が適切か分からんけど…の交錯感がすごい。あと感情が繋がってるように見えるのもすごい。 pic.twitter.com/fJrmFaOZPo— てっくぱぱ (@from_techpapa) April 22, 2022
満足度
(3/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
中産階級向けの、料金控えめなメタバースの中。精神とリンクしたアバターたちが闊歩する世界。でもどうやら、ログアウトにトラブルが生じたようで、誰もその世界を出ることができない。その閉じられた世界の中で繰り広げられる、会話の応酬の物語。
出演者が多く、それぞれのアバターたちの背後に物語はあるものの、語られるのはとても断片的な氷山のてっぺんの部分のみ。何故そういう行動を取っているのか、というのは説明の無いまま、それぞれのキャラクターは、ログオフできない事で、てんやわんやしている。関西弁の人はつるみ、ずっ友が出来たり、告ったり告られたり。あるいは、女性のアバターの実体は、実はおじさんだという事がほんのりと透けて見えたり。アバターを交換してみたり。
バーチャルな世界を現実に立ち上げちゃったら、こんな交錯具合かな、という表現の立ち上げ方は興味深く、描きたい世界はよくよく理解出来るし、同時発話で会話が進行するので、舞台のミザンスの取り方みたいなものには感心するも、核心として何を描きたかったのかなぁというのは、よく分からなかった。特に意図がなくて、そのままありのまま、立ち上がった世界を楽しめばいいのかな、という気もした。
ラスト、ここに集まったのは、実は精神のリハビリをしている患者たちだった…というオチは(それが現実なのかも、よく分からないのだけれど)、80年代~90年代バーチャルリアリティがもてはやされた時代の物語の数々を、どこか彷彿とさせた。