<観劇レポート>早稲田大学演劇研究会「Re:ビドー」
【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 早稲田大学演劇研究会「Re:ビドー」の観劇レポートです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | 早稲田大学演劇研究会 |
回 | 早大劇研22新歓 |
題 | Re:ビドー |
脚本 | 佐織祥伍 |
演出 | 佐織祥伍 |
日時場所 | 2022/06/10(金)~2022/06/12(日) 早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
1920年、創立。
この100年間で、名前を変えて、場所を代えて、
そして大勢の人間を替えながらも、多くを受け継ぐ。
そのうえで、捨て去れたら。活動拠点は、大隈講堂裏に建つ「劇研アトリエ」。
入会希望者は、「新人訓練」を受けたのち、
「新人試演会」を経て、正式な会員となります。
入会後は、原則として平等な公演企画の権利が付与され、アトリエの使用権を会員同士で競り合います。
また、「アンサンブル」と名付けられた派閥制度により、アトリエの使用はさらに円滑なものとなります。
過去の観劇
- 2024年10月21日【観劇メモ】早稲田大学演劇研究会「獄・カーニバル」
- 2024年06月13日【観劇メモ】早稲田大学演劇研究会 「香格里拉 ―シャングリラ―」
- 2024年05月02日【観劇メモ】早稲田大学演劇研究会 「邂逅」
- 2024年03月04日【観劇メモ】早稲田大学演劇研究会 「シン・ワ」
- 2024年01月13日【観劇メモ】早稲田大学演劇研究会 「劇場版 芝居小屋シアター THE STAGE」 ・・・つづき
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
——あれ、私生きてる。
女は、偶然《じゅう》を拾い、流されるまま知らない家族の元に立てこもってしまう。
鬱々とする中で思い出す過去。私どうすればいい?何をすればいい?
一人が良い。でも、寂しい。
死にたい。でも、生きたい。繰り返される生存本能《Re:ビドー》の中で、でも私、生きてる!$$
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2022年6月11日 18時00分〜 |
上演時間 | 75分(途中休憩なし) |
価格 | 無料・カンパ制 全席自由 |
チケット購入方法
公演Twitterからのリンクで予約しました。
当日受付で名前を告げました。
客層・客席の様子
男女比は6:4くらいで男性多め。
殆どが大学生でした。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。
・シリアス
・考えさせる
観た直後のtweet
早稲田大学演劇研究会「Re:ビドー」75分休無
4人出ずっぱり。立て篭っているのか、閉じ込められているのか。言葉遊びのようなリズムで語られる、内面の声。面白かったけど、刺さる刺さらない、真っ二つに割れるんだろな。40代の自分には、そうそう分かってるよという鈍く冷めた共感を覚え。オススメ。 pic.twitter.com/mFc1dbRjrx— てっくぱぱ@観劇垢 (@from_techpapa) June 11, 2022
満足度
(4/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
女は家に押し入り、銃を突き付けて、住んでいる母子とおじいちゃんを人質に立てこもる。過去の記憶をよみがえらせながら、孤独を抱える女は自らの心情を語り出す。死んでしまいたい、でも死にたくない…。そんな葛藤を、女と他3人の演者が、様々な役を入れ替えながら演じるお話。
ハイコンテクスト…というか、女の内面を抽象的に描く作品。無機質な白い空間に、墨を散らしたような舞台で、時に身体を使い舞台を所狭しと動き回りながら、ハイスピードなセリフと共に内面が描かれる。多くのセリフが、言葉遊び的な韻を踏むような会話で構成される。…例えば、人質に突き付けている「銃」は「自由」とか「従」とか、様々な意味を持つ言葉に変化していくことで、ひとつの言葉に、2つ以上の意味を持たせていくような描き方が印象的。
描きたいのは、他者とのかかわりの中で自らを「小さい」と感じて、その存在に疑問を持つような感覚…だと感じる。女が人質を取って立て籠っている家は、逆に閉じ込められている場所でもあって。そこから抜け出したいのか、閉じこもっていたいのか。他者とのかかわりの中の自分自身の衝動を、どう表していけばいいのかという自問自答。きっと、人間の頭の中では、そんな事が何度も何度も繰り返されていて、日々自問しながら、生きているのだろうとは思う。
そんな自問自答の感覚。40代の私の視点で観ると、必然的なのか、どこか懐かしい感覚。悩んでる前にやりたい事をやっちまえ…みたいな割り切りが出来るくらいには、私も擦れてしまっているのに気が付く。芝居としての完成度は高くて、飽きることはなかったけれど、どこか遠い鈍い感覚として、目の前の表現を観ていた。