<観劇レポート>青年団リンク やしゃご「きゃんと、すたんどみー、なう。」
【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 青年団リンク やしゃご「きゃんと、すたんどみー、なう。」の観劇レポートです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | 青年団リンク やしゃご |
回 | 芸劇eyes |
題 | きゃんと、すたんどみー、なう。 |
脚本 | 伊藤毅 |
演出 | 伊藤毅 |
日時場所 | 2022/07/07(木)~2022/07/17(日) 東京芸術劇場シアターイースト(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
劇団青年団に所属する俳優、伊藤毅による演劇ユニット。
青年団主宰、平田オリザの提唱する現代口語演劇を元に、所謂『社会の中層階級の中の下』の人々の生活の中にある、宙ぶらりんな喜びと悲しみを忠実に描くことを目的とする。
伊藤毅解釈の現代口語演劇を展開しつつ、登場人物の誰も悪くないにも関わらず起きてしまう、答えの出ない問題をテーマにする。2014年、青年団若手自主企画伊藤企画を立ち上げ、三作品を上演。
2018年、青年団リンクに昇格。
やしゃごの由来は、「なんだかんだ、可愛がられると思って」。
過去の観劇
- 2021年04月23日青年団リンク やしゃご「てくてくと」
- 2020年10月24日青年団リンク やしゃご 「ののじにさすってごらん」
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
——大人になったら何になりたい?
“関東圏郊外。三人姉妹が住む一軒家。
長女は、知的障がい者である。
親はもうなく、主に三女が家を仕切っている。次女が結婚し、夫と建てた新居への引っ越し日。
引っ越し業者とともに作業をする姉妹たち。
そこに、長女と結婚したいという男が現れる。”これは、2017年の初演時に寄せたあらすじです。
この5年の間に、それまでの問題はそのままで、様々なことが変わりすぎてしまった気がします。
2022年の『きゃんと、すたんどみー、なう。』は、上演当初とは違うお話になるかもしれません。
何にせよ、今のやしゃごのできるだけをお見せ出来たらと思っております。
ぜひ、皆さま、万障お繰り合わせの上、足をお運びいただけますと幸いです。作・演出 伊藤 毅
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2022年7月14日 19時00分〜 |
上演時間 | 120分(途中休憩なし) |
価格 | 4000円 全席自由 |
チケット購入方法
CoRichのページから予約しました。
当日受付で、現金でお金を支払いました。
客層・客席の様子
男女比は5:5くらい。様々な年齢層がいました。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。
・泣ける
・会話劇
・考えさせる
観た直後のtweet
青年団リンク やしゃご「きゃんと、すたんどみー、なう。」120分休無
割とスロースタートで前半イライラするも。後半の重みが凄い。綺麗事なのか現実を見るのか。その中間はないのか。後半、そんな言葉がグルグル回る。コミカルな面が多いのも良。ラスト印象的。電話は鳴り人生は続く。超オススメ! pic.twitter.com/c1A5bL2gpb— てっくぱぱ@観劇垢 (@from_techpapa) July 14, 2022
満足度
(5/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
ストーリーは、初演の時に書かれたものとの事だけれど、再演の今回も事前紹介の通り。割と田舎のような場所の家の居間。三姉妹。知的障害の姉と、妹二人。次女の夫の知り合いが社長を務める引っ越しやさんと。画家や、夫の勤める大学の研究室の人。支援団体の人。そして長女と結婚したいという、こちらも知的障害の男・・・などが出入りする中で描かれる、引っ越しの日の、日常。
前半はちょっと、かったるい。どうやら引っ越しの日を描いているのは分かるし、知的障害の姉がいることが物語の大きなポイントなのだろうことは分かるのだけれど、物語が一向に収束に向かわなくて、ちょっと退屈。開演1時間くらい。長女と結婚したいという知的障害の男が登場する事で、やっと動き出す物語。二人が「結婚したい」というのを、周りの人々はどう捉えればいいのか、それぞれがそれぞれに困惑していく。
前半ちょっと退屈だった何気ない言葉のやり取りの裏側にあるものに、急に焦点が当たり出す。…なぜ三女は、自分が太っているのを気にしているのか。なぜこの家に出入している絵描きと次女は、お互いにコンプレックスを抱えているような会話をするのか。なぜ次女と、その夫の距離感は微妙なのか。なぜ次女の夫は「生物」を研究していて、DNAの模型を大事にしているのか…。そんな些細な事の会話の裏側が、コミカルに場をひっくり返していく引っ越し業者の力もあり、明らかになっていく。そして、それ全てが、知的障害を持った姉に、どこか繋がっていく。
知的障碍者同士の恋愛。結婚。傍から見たら「純粋な愛」に見えるのかもしれない。でも、三女から見れば、それはある種の地獄でしかない。「キレイごと」と「現実」と。そのハザマで揺れる。次女も三女も、もう嫌という程「現実」を見ていて、そして、そこからなんとか飛び出そうとして、失敗してきたのかもしれない。そして次女は、今日まさに、引っ越して、心の重荷を別の場所におろそうとしていた最中だった。
ラスト。底抜けに明るい母の霊が登場。それまでの現代口語演劇的な、現実味のある演出が崩れる面白さ。霊の母は「好きに生きろ」と三女を諭す。・・・実際の母が、そう語りかけてくれるなら救いがあるのかもしれないが、これも三女の頭の中で作り出したものであろうから、彼女が救われているのかどうかは、観ている側からもよく分からない。
長女の結婚をサポートしようと決意したように見える三女の側で、次女の夫が事故にあい、おそらく死んでしまったような連絡。人生は、暗転して、明転して、カーテンコールして、ハイ物語でしたよ、などと「キレイごと」のように終わったりしない。客電がついて、退場を促すアナウンスが流れでも尚、長女にメイクを施す次女の様が、焼き付いて離れそうにない。(その後、トイレに寄ったのちに、もう一度舞台を覗いてみたのだけれど、長女ひとりだけになっていた。次女は夫を追いかけたのだろうか…トイレに立つのを少し待てばよかった、と後悔。)