<観劇レポート>小松台東「左手と右手」
【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 小松台東「左手と右手」の観劇レポートです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | 小松台東 |
回 | 小松台東 |
題 | 左手と右手 |
脚本 | 松本哲也 |
演出 | 松本哲也 |
日時場所 | 2022/10/29(土)~2022/11/08(火) 駅前劇場(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
小松台東
Komatsudaihigashi松本哲也による演劇ユニットとして、2010年12月第一回公演「ノンアルコールで吐く」より劇団活動を開始。
2013年より劇団名を小松台東(こまつだいひがし)に変更。
全作品宮崎弁で上演されていることが特徴で、日常の中で起こる人間の機微を丁寧に、ユーモアを交えて描いています。
2019年より瓜生和成、今村裕次郎、佐藤こうじが劇団員として加入
2022年2月より小園茉奈が劇団員として加入
過去の観劇
- 2022年06月03日 小松台東「シャンドレ」(2022年再演)
- 2021年09月03日 小松台東「デンギョ-!」(2021年再演)
- 2021年05月28日 小松台東 「てげ最悪な男へ」
- 2020年11月07日 小松台東 「シャンドレ」
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
付き合って捨てて奪って捨てた。そんなあの人と私はまた一緒にいる。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2022年11月4日 14時00分〜 |
上演時間 | 115分(途中休憩なし) |
価格 | 4500円 全席指定 |
チケット購入方法
カンフェティのサイトで予約しました。
コンビニで予約バーコードを見せて、クレジットカードで決済しました。
客層・客席の様子
男女比は5:5くらい。
男性はシニア層、女性は若い人が目立ちました。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。
・会話劇
・考えさせる
観た直後のtweet
小松台東「左手と右手」115分休無
いつも通り?の宮崎の話。スロースタートで、前半何の話?と当惑したけど、後半のうねり上げがすごかったなぁ。いろんな捉え方出来る話だけど、なんだか、東京とか宮崎とか関係なく「ここではないどこか」への憧れと失望とがものすごく刺さった。名作!超オススメ! pic.twitter.com/GGkghnVHY8— てっくぱぱ@観劇垢 (@from_techpapa) November 4, 2022
満足度
(5/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
宮崎の片田舎の、とある家の居間とキッチン。40手前の「男」と「女」が暮している。一度東京に出て出戻った男は、学生の頃から知っている女と、結婚と変わらないような同棲をしている。そこに、仕事場の雇い主とその息子、宗教にハマっている女の妹、男が東京時代に一緒に居酒屋でバイトしていて、今では自分の店を持つに至ったカップルが東京から遊びにきたり、様々な人が出入りする。その中で浮かび上がってくる人間模様と、恋?愛?のお話。
少し古めだけれど、ごく普通の家の、居間とキッチンのセットが、緻密に組まれている。そして、場所は宮崎の片田舎。いつもの小松台東の題材、スタイルなのは変わらず。「デンギョー」の電気工事の工務店に雇われていた、下請けの小さな会社の男が出てくる。とこか、宮崎の空間が、これまでの作品と繋がっているお話。
前半は、とにかく何の話なのか、一向に見えてこなかった。"ほぼ"夫婦の男女の会話。出入りする小さな工務店の男と、息子の会話。一向に状況が進展しないというか、何も起こらない。工務店の男の息子は、どうやら東京に出たがっていて父と対立しているらしいが、まあまあそれも「よくある光景」に見える。それが、東京から来た、かつての男の同僚カップルが来ることで、いろんな事が見えてくる。
宮崎を出て、東京に行く。大した夢も持てず、ただ働いて、宮崎に帰ってきた男。若い頃「ここではないどこか」を夢見て、若いエネルギーで飛び出して、傷ついて帰ってきた。女との馴れ初めや、過去、何がしかの事件があり、東京に行っている間二人の仲が途絶えていた時間がほのめかされるが、詳しくは語られない。女は、宮崎から出ず、男を待っていた・・・のかもしれない。どこか東京の話題に嫉妬しつつ、その嫉妬している自分に苛立ちを覚えているように見える。
一方、工務店の男は、宮崎から出ずにこの地でずっと働いてきた。・・・いや、どこか意固地になって、あるいは臆病で、自分を誤魔化して、「宮崎に居続ける」という選択を惰性でしてきたように見える。自分が宮崎だったから、息子も、と、短絡的な発想で息子にも同じ選択を強いるが、息子は「ここではないどこか」へ行きたがっている。工務店の男の息子は、別居していた母を頼って、東京に出る道を探るために、父親のもとを離れる。
そこに「男」の東京時代の同僚。宮崎に戻った「男」とは異なり、東京に店を出して「ここではないどこか」でそれなりに成功したものの、カップルの女の方は、東京に出たものの、自分がやりたい事が出来た訳ではなさそうだった。
「東京」に代表されるような「ここではないどこか」に対する、憧れと、失望と、怨念と、逃避と。・・・そんなものが、様々な年代の登場人物たちの中で、見え隠れする。それぞれ違う「ここではないどこか」。宮崎でなくても、東京でなくても。どこか「別の場所」があるという想像と、それへの向き合い方が、人間の人生を形作っていく。芝居後半、宮崎の片田舎のほんの小さな家の居間のやり取りで、その様子が浮かび上がっていく様が本当に見事で、前半の「なんの話?」という当惑を忘れて、前のめりになって観ていた。
その家に住んでいる「男」と「女」。過去、どのようなことがあったのか、明確には語られない。ただ、かなり若いタイミングで、二人はいわゆる、ソウル・メイトというか、自分の片割れと出会ったのだろう。「左手と右手」。2人の、ちょっと遠回りの、愛または恋の物語。「ここではないどこか」という、得体のしれない、でも誰の心にもある何かに立ち向かうには、「愛」がなにより大事・・・という、そんなメッセージに感じられた。