<観劇レポート>fukui劇「美々須ヶ丘」
【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 fukui劇「美々須ヶ丘」の観劇レポートです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | fukui劇 |
回 | fukui劇 vol.13 |
題 | 美々須ヶ丘 |
脚本 | 福井しゅんや |
演出 | 福井しゅんや |
日時場所 | 2022/12/14(水)~2022/12/18(日) 劇場HOPE(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
福井しゅんや
fukui劇主宰、脚本家、演出家1990年10月、 奈良県宇陀市生まれ。
京都造形芸術大学舞台芸術学科卒業、
同大学院芸術学部舞台芸術領域修了。
在学中より映像や舞台に役者として出演、演技・舞台演出を学ぶ。
2013年、同大学舞台芸術学科卒業制作作品『蟲(むし)を解放(はな)つ。』にて最優秀学生作品賞および学長賞を受賞。
過去の観劇
- 2022年07月23日三栄町LIVE×fukui 劇 「うねるペン2022」
- 2022年05月05日三栄町LIVE×fukui 劇「まどうペン~さよなら私のいびつな純情~」
- 2022年02月25日fukui劇「母孵ル、」
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
「お昼行ってきます」
うだるような昼の終わりをどうしようもなく駆ける。
ひとたび扉を開けばそこは、私だけのサンクチュアリーだ。
手のひらにそれを掴むと、気もそぞろに口いっぱい放り込んだ。
圧巻。充足。一瞬にしてかえがたい幸福が私を満たした。
トン、トン。
誰かがドアをノックした。
扉が開く。
土竜はこちらを見て嗤っている。
もうダメかもしれない。ー美々須ヶ丘。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2022年12月17日 14時00分〜 |
上演時間 | 120分(途中休憩なし) |
価格 | 4000円 自由席(一部指定席あり) |
チケット購入方法
CoRichのページから予約しました。
当日受付で、現金でお金を払いました。
客層・客席の様子
男女比は5:5くらい。様々な年代の人がいました。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。
・シリアス
・泣ける
・笑える
・会話劇
・考えさせる
・グロテスク
観た直後のtweet
かつて天才だった頃の俺へ|福井しゅんや(小説・劇作) @shunyafukui#notehttps://t.co/SZjnmFSJ41#美々須ヶ丘
— 福井しゅんや(fukui劇) (@shunyafukui) December 16, 2022
満足度
(5/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
ストーリーを書き下すのが難しい。前半は、テーマパークを運営している会社の給湯室。女の「給湯室」な勢力争いと、その周りにいる人々の人間模様。どうやら、時代設定は近未来のようで、近くの国では戦争があって、日本も兵役を課しているようだけれど、とくにそういったことが細かく描かれる訳でもない。後半は・・・気がつくとグロテスクな異世界を、笑いにのせてサラリと差し込んでくる。テーマパークの後ろにある「美々須ヶ丘(みみずがおか)」。土を食べる女と、それに魅せられて集まった人々のコミュニティに巻き込まれていく。そのコミュニティについて、どこか「警察の取り調べ」のような、あるいはカウンセラーか何かのカウンセリングのようなモノローグを進行役にしながら、時間が行ったり来たりする中で回想的に語られる物語。
ドえらいものを観たなぁ、という感覚。少し時間が経った今でも、頭の中を整理しきっていない。作品の空間の重さのインパクトだけが、頭の中にポッカリと穴を空けて通り過ぎて言った感覚。「土を食べる」・・・に始まる、今の世の中では社会的に受け入れられない「異食症」をえがきながら、社会的に受け入れられない事と、その人々が、受け入れられないながらも、コミュニティを作って、自らの満足を得ようとする。性的なマイノリティ…劇中だと、幼い頃に主従な関係になって、性的な接触を持った男女の、偶然の再開の話が出てくるが、その「変態」であり「異常」っぷりが、対比としてどこか「ナマ易しい」感覚さえ覚える。その意味では、最近話題になるような、性的なマイノリティ・・・などなどの話、要はかつては「異常」として後ろ指さされた事柄の、更に先を行ってる話、と取る事も出来るように思う。
グロテスクな話題を取り上げつつも、基本はコメディティな路線が下敷き。「美々須ヶ丘」の面々が登場する場面は、どこかぎこちない関西の漫才風。それ故に笑いを誘ってくるのだけれど。テーマがテーマだけに笑い切れもしない。どうしたらいいものやら・・・と途方に暮れる感覚。そんなに重いモノを投げかけてくるのに、どう対応したらいいの・・・。
物語の後半、ラストに向けては、コミュニティの存在が「誰かに迷惑をかけることなく」というのが強調されていく。「共存」の道を説く楓と、「対立」の道を取ろうとする(主人公の)詠香との対比。誰もが、人に言えない何かの"変態性"を持っているとしても、その事で、他人に迷惑をかけるな・・・という立場。作品としての着地点は、どこか性善説に基づいた、異常性や変態な何かへの肯定であり、そこに対する優しい眼差しなのだろう。真正面から考えると、そんな事・・・他者と対立しないままの「異常」は可能なのだろうか・・・という疑問が、次から次へと浮かんでくる。でも、ここまでグロい話を、コメディチックに、直接的な描写を避けつつ描く、作者なりの視点の提示なのかな、という気もしてくる。
とはいえ、やっぱり、作品の論理的な説明や感想よりも、あまりにも重い球を速球で投げられて、どう受け止めたいいのか、というインパクトの方が、今でも勝っている。fukui劇、プロデュース的な公演も含めてこれで観るのは4作目。ちょっと作風にメリハリがあって、完全エンタメ路線と、今回のようによく分からない重いものを投げかけてくる路線と、2パターンあるのかもしれない。福井しゅんや、という劇作家は凄い。こういう作品をもっと観せて欲しい、もっと観たい。そんな感覚が、作品の得体の知れない余韻と共に、長々と尾を引いてくる作品だった。きっと「異常」という事について考える時、この作品の、可笑しくもグロテスクな場面の事を何度も思い出すことになるように思う。
役者さんが、全員、異世界にいっちゃってるのが素晴らしい。緻密に作られた舞台セット共に、薄気味悪い「裏の」世界観の表現。カーテンコールで、皆が素の笑顔で出てきたらどうしよう・・・と思ったけれど、ナシ。素顔をみたい感覚もあったけれど、演出としては効果的。特に、主役の2人、楓を演じる仙洞田志織の得体の知れない存在感と左右非対称な肩、井上瑠菜のオドオドしているのとおもいっきりの良さが交互にスイッチしている「異常さ」が、強く印象に残った。